utteringUFOの日記

私とあなたの備忘録です

仕事のできる人

仕事のできる人になりたい。4年生の卒業制作を手伝う中でそう思った。

 

でもその定義は立場と職種によって様々に異なるので、どのタイプを選択してその方向に特化するか、あるいは自分にはどれが向いていてどれができないかも変わる。

体調や精神の状態がいい時に限れば、業務として人をサポートするのは得意な方だと思う。今日も先輩が疲れているのを感じて、向かいながら行程表を代理で作り差し入れをした。仕事のひと段落したところを見計らって今後の方向を伺い、ブランケットとヒーターとポカリを用意して仮眠を取らせた。門限のせいで早く帰るため、今晩と明日の業務指示を一人ずつ分作り、壁にカロリーメイトと共に貼ってお先に失礼した。

このようなことは自分が主軸となって設計する場合には全くできない。精神が追い詰められるほど身体の調子も悪くなり、加速するように自分のケアも周りへの指示もスケジュール組みもできず、成り行きとやっつけ仕事、総力戦の焼畑農業で火の車。

この2つの差はなんなのだろうと考えてみたら、自分事かどうかということだ。自分の課題は終わらなければやばいが、終わらせるために適当な作りにもしたくなくて妥協できずに死んでいく。先輩の課題は終わらなくても別に私は困らないけれど、流石に阿鼻叫喚は避けたいので、全体の様子を見ながら完璧な出来を目指しつつ、間引けるところは間引く。

自分の時もこれが出来たらいいのに、薄情なことに気持ちが離れれば離れる作業ほど上手くいく。真剣で身が入っている時ほど空回りする。それが自分に対する報いのような気がして、他者に対して気持ちを割けず義務感と責任感と偽善のみでタスクを成り立たせている感じがどうしようもなく許せなくなる。大人になっても、自分が本気で心を割くことは仕事にしない方がいいんじゃないだろうかなどと考えているのだが、そんな仕事はつまらなくて、帰りの電車で一気に空虚な気持ちになるのだろうなあ。いつか、自分の精一杯を注ぎ込むことに、冷静なパフォーマンスを乗っけられたら最高なのだけれど。