utteringUFOの日記

私とあなたの備忘録です

始まる、2024

毎年、目標のようなものを立てています。
と言っても、単一的な目標だと年半ばで達成してしまった時が宙ぶらりんだし、ジャンルごとに細かな目標を立てたりもしたいので、背骨のようになるその年心がける概念というか、標語のようなものを一つ立てます。それに付随させながら、いくつかの具体的目標を掲げるんです。そして、月目標をそれぞれの月の初めに複数個立てて、月末にそれらの振り返りをします。そういうシステムでやっております。

それでは、その標語と目標を掲げておきましょう。

 

2024年の標語

平常心でいられる環境構築に努め、自己と他者を分けながら双方の幸せを願うこと。

 

これは、学生生活を終えて働き始めたり、夫婦の新居に引っ越す予定があることなどから、環境の構築がとにかく大事だなという思いから始まった標語です。中でも、気分が上がるだとか、ワクワクするということよりも、静かに穏やかにフラットに過ごせるようにしたい気持ちが強く、前半部分が出来ました。
後半部分に関しては、つい自己犠牲的になったり、逆に自分勝手になったりしてしまいがちな中、その根本的原因は自他境界が曖昧なことにあるなと感じていたので、そこを直していけたらということです。
果たしてこの標語を胸に一年過ごすことで私は変われるのでしょうか。変われるように、NotionのHomeのページに書いて毎日気に留めたいと考えています。

 

2024年の目標

1.穏やかにいられる部屋の構築。

2.まずは仕事に休まないように行く。

3.Notionと日記とアプリの活用でライフログ

4.姿勢と体型、美しく。

5.お金の運用を明確に探る。

6.あらゆる文化(展示・本・映画)の摂取。

7.京都・大阪に心の居場所を見つける。

 

これらは本当に文字通りなので特に説明は要りませんが、ここに宣言しておくことで自分への戒めとできたら。こうやって見ると、私はライフログを取りながら、カルチャーを吸収して、穏やかに美しくいたいという望みがあるのだなということがよくわかります。これをさらに細分化することで月目標として設定できれば、2024年が終わる頃には変容した自分がいる、はず!

 

ということで、これらの標語と目標を掲げて、2024年を過ごしていけたらと思います。
今年もどうぞよしなに。
(このブログの場ももっと活用して、たくさん書いていきたいですね。)

2023まとめ

2023もそろそろ終わります、あと数時間。紅白をつけてたら山ちゃんの歌声が聞こえてきて、本家最高じゃん!になってしまいました。ジャニーズが出なくなったり、ディズニー特集があったり、有吉が司会やったり、NHKも変わっていくんだな〜。私も変わった、もっと変わりたい。
という訳で、この変革の年2023、総振り返りです。

 

一月。

夫となる人の家族に初めて会ったお正月から始まった一月。親友と映画に行ったり、恋人に誕生日を豪勢に祝ってもらったり、また別の友人と美味しい時間を過ごしたり、幸せなイベントが多いながらも、メンタルクリニックと大学に通う、穏やかで一番いい季節でした。
2024年もいい一月になればと願いながら、いや、そもそも2024年自体がいい一年になりますように。

 

二月。

二月上旬は恋人のところでふわふわと舞い、冬の京都を堪能して幸せに過ごしました。後半は就活面接地獄で、胃がキリキリするような日々でした。就活って嫌......と思って、転職活動も絶対したくないなと当時は泣いてばかりの毎日で、乗り越えられたことが今でも信じられません。
当時の就活記録に関しては、別記事に書いてあるのでそちらを参照しましょう。

 

三月。

上旬に内定をいただき、苦しかった就活を終えました!私の障害や病気に関してもとても理解をいただいて、条件や環境・雰囲気などあらゆることを含めて、ここで働きたい!と強く思わされるところから内定をいただけたのは、自分を深く肯定されるような気持ちになりました。
そういったことの報告を含めてだいぶ久しぶりに母校を友人と訪れ、たくさんの先生方と濃密に話せた貴重な日もありました。また、その日からパーソナルジムにも通い始め、自分が節目だ!変わりたい!と願っていた変容の月だったのかもしれません。

 

四月。

大学院二年生になり、六年間の学生生活最後の年度が始まりました。残った単位を取りつつ、先行研究を探しながら、パーソナルジムに行く日々の中、恋人のお誕生日をお祝いするために奔走し、無事成功した!と思います!
月末に始まったGWの始まりには、私の実家に恋人が結婚の挨拶に来るというビッグイベントがあり、母や祖母など家族がそわそわしていました。彼が父に挨拶する時は、正直緊張よりも状況の奇妙さに笑えてきてしまう気持ちだったのをなんとなく覚えています。同日に私も彼の実家に行く流れになって、初めて会うご家族たちと飲んで食べてとても緊張と楽しさがないまぜでした。

 

五月。

恋人とハトヤホテルに内定祝いで行ったGW。レトロだけど全く人がいなくて、室内プールや温泉を独占し、卓球をして、大きな広間で夕食を食べ、広いバーでカラオケをするという、もうなかなかできない体験ができてシンプルに楽しかったです。帰ってきてからもデートをしたり、母とライブに行ったり遊んでばかりで、M2ってこんなに遊んでていいのかなあという感じでした。
そう思っていたらやっぱり、GW明け、コロナが五類になった途端にコロナにかかりました。情けない。パーソナルジムも行けなくなり、療養の月と後半はなりました。

 

六月。

六月は上旬を恋人のいる京都で過ごし、後半はジムと大学にだらだら行く、消化試合的な日々でしたね。コロナで痛い目を見たので、大人しく過ごそうという感じでした。
この月はイベントが少なく、記憶もバイト探しをして変な商売に引っかかっていたくらいしかありませんね。なんと嘆かわしい。

 

七月。

この月は東京でばかり過ごしていて、単位を取得しつつ、多くの展示に行って、学びの月になっていました。
同時に恐らく、今後京都に越すことを考えると一緒に過ごせるのは最後になるであろう、祖母の誕生日を祝ったり、兄弟三人で珍しく集まってタコスフェスに行ったり、展示も母と行ったり、家族で過ごす大事な日々だったなと今になっては懐かしく思います。

 

八月。

この夏休みはまるっと恋人のところで過ごす予定だったので、大きなトランクを持って、荷物も後から送ったりして、初旬から京都へ。二人の新居を内見して決めたり、恋人の友人とウィスキーイベントに行ったり、琵琶湖の大きな花火大会を二人浴衣を着て感じたり、素晴らしい夏休みの始まりでした。
そのあとは、恋人の祖父母がいらっしゃる鹿児島に招待されて、屋久島旅行も含めて、鳥刺しと芋焼酎に明け暮れた最高の五日間でした。緊張する間もなく焼酎が私と彼らを繋いでくれて、本当の家族になれたような幸せな時間で、「苗字が変わったらまたおいで」と言っていただけて泣きそうでした。
帰ってきてから、ずっと心の支えにしていたyoutuberの女の子が亡くなってしまって、気持ち的に辛い日々が続きましたが、恋人がそばにいてくれたことで乗り越えられて、好きな人がそばにいるって強いなあと泣きました。その後も恋人の友人たちと鮪会をしたり、古民家でBBQしたり、夏休みを堪能する日々で、勉強は全くしていませんでしたね。

 

九月。

プロポーズされました。二人でもう決めていたことで、花を買ってきてもらって、彼と共にフレンチフルコースを作って、おうちでプロポーズを演出するという、私たちらしい記念日になりました。ひざまづいて申し込まれた時、驚きではなくやっと...!という感じではあったものの、大きな喜びで安心したのをいつまでも忘れないと思います。
そこからは二人で東京に帰ってきて、結婚指輪を追い求め銀座で宝飾店巡りをしたり、また京都に戻って関西の内定先のイベントに出たり、大学に戻ったり、昔のバイト先に出戻ったり、忙しなく過ごす月でした。
そんな中でも儚げに楽しいことは忘れず、友人三人でワインバーのアフタヌーンティーが素敵な最高の日も忙しなさの中で光っていました!

 

十月。

初旬にまた京都に行き(何度京都に行くんだよ)、会社の長期休暇の恋人と二人で一緒に時間を過ごしました。敬愛するブックデザイナーの幅さんが奥様と共に運営するブックカフェに行けたのが幸せだったのですが、本棚の中身がほぼ私を同じで、なんだかミーハーだなと恥ずかしくなったのを覚えています。
そこから二人で東京に帰ってくると、緊張の両家顔合わせがありました。なるたけカジュアルにしようと中華を選び、故郷である横浜の重慶飯店で舌鼓を打ちました。ま、概ねうまく事が運んだのではないかと思います。
その後は結婚指輪代を稼ぐためにバイトに明け暮れつつ、月末に指輪を受け取り、記念の美味しいお寿司を食べました。あの時のスイカの奈良漬けとあん肝の握り、一生好きです。
あと大きな事ですが、春から準備していた障害年金が承認され、証書が届くという嬉しいことがありました。

 

十一月。

修論の中間発表から始まったこの月。
バイトをしつつ論文がいよいよだぞとなりながらも、母の念願叶って二人でディズニーに行けました。小学生の頃に25周年のランドに行ったのですが、そのまま母とは行けず、40周年となったランドにやっと行けました。二人でシミラールックをして、ディサビリティパスを使いこなしつつ存分に楽しめためちゃよい一日になりました。撮れ高さいこ〜。
後半はまた京都に行き、二人の新居に引っ越し、そして、ついに、いい夫婦の日、11月22日に!結婚!しました!!!法的に家族だと認められ、会社の住宅時補助など支援されることのなんと心強いことかと思いつつも、認められない同性カップルの方や選択的夫婦別姓についても思いを馳せました。何か、アクションができればいいのですが。こうして書いているといつもいつも美味しいものを食べているなと思いますが、結婚した記念にまた美味しい和食割烹に足を運び、静かで満たされる時間を過ごしました。

 

十二月。

初旬にスタイリッシュなエアビーでメイド服を着ながら映え料理を食べるという女子会で迎えた十二月。初めて女子会らしい女子会ができて、いい思い出になったなと今月のことなのに既に感慨深いです。他にも数年ぶりの友人に会ったり、恐らく訪れるのは最後になるであろう美容室に手土産を持っていき、髪を聖子ちゃんにしてもらったり、母とクリスマスコンサートからバーに足を運んだりする、思い出と邂逅したり、思い出を作成したりする上旬でした。
中旬に喘息を拗らせて大きめの風邪を抱えつつ、京都の夫(夫!!!恋人ではなく夫!)のところへ向かって、共にクリスマスを祝いました。お外のディナーもおうちでのお料理ディナーもどちらもやったのですが、この形式が一番いいかもしれませんね。私から夫に送ったレコードプレーヤーがうまく作動した時、二人で飛び跳ねて手をとって喜びあった時間が大好きです。
そんな夫も仕事を納め、私も教授に修論草稿を提出し、無事各々の実家に帰ってきたのが昨日です。ああ、やっとここまで書けた。

 

こうして振り返ってみると、やはり秋・冬にイベントが多いというか、去年同様5・6月は沈黙の月と言わんばかりに意気消沈してしまうようですね。来年はちょうど研修期間ですから、どうかちゃんと機能してくれ!私!と願わずにいられませんが、自分の一番調子の悪い時期にも無事仕事ができる環境づくりを構築していく方が早いかとも思います。
結婚という大きなフェーズを迎え、年女でもある年で、来年二月に離れるこの地に友人や家族と思い出をたくさん作って、この2023年は私にとって節目になるとても大事に年でした。今年あった本当に大切な思い出たちを、どうか忘れずにいられたらと思います。
紅白を一緒に見てる母が、書きすぎだよと私を止め出して、こうしていつもやりすぎる私を止めてくれる母も来年から遠くで過ごすのかと思うとなんだか寂しいです。実家を名残惜しく思う日が来るなんて、あの頃の私は思わなかったなと不思議な気持ちです。そろそろ本当に書くのをやめましょう。あと思うべきことは、来年に渡して、今は静かに眠って。
来年の世界はもっともっとよい世界にしましょう。同時に私はとてもとても穏やかに過ごしましょう。おやすみ、世界、一瞬の眠りを。

24卒・精神障害者の建築大学院生がIT企業から内定をもらうまで。

タイトルの通り、私は精神障害者手帳を持つ、建築を専攻する大学院生1年で、先日IT企業から内定をいただき就活を終えました。全く同じという人はなかなかいないとは思いますが、似たところがある人に参考にしてほしくて、この記事を書きます。

私のスペック

私の大まかなスペック(嫌な言い方ですが)を書いておきます。

精神障害者手帳2級
・疾患は統合失調感情障害/ナルコレプシー症候群/ASD
・1年浪人して都内の中堅私立理系大学の建築学科へ。
・内部進学でそのまま同大学院の建築専攻へ。
・研究室はデザイン理論・美学。
・首都圏の実家住み。

有名大学でもないし、特別なコンテストに出て優勝したこともないし、精神疾患というハンデを抱えています。。コンプレックスだらけですが、学部ではそれなりに成績優秀で大学院へは特待生として招待されたり、卒業制作で学内で表彰されたりはしました。しかし、あくまでその程度でしかなく、就活市場においてあまり雇いたいと思われる条件ではありませんでした。
精神疾患の症状としては、幻覚・幻聴、躁鬱の繰り返し、聴覚過敏とそれに伴う疲労、一日12時間以上の睡眠過多、過食嘔吐の繰り返しといったところが主です。学部をストレートで卒業できる程度ではありましたが、大学院に入ってリズムが変わると丸々2ヶ月休んだりもしました。何より、夕方になると発狂したりするので周りに迷惑をかけるし、聴覚過敏により居られる場所に制限があることが問題でした。

希望と結果

そんな私が就活をするにあたって、自分に出した希望は以下の通りです。

・デザイナーやプランナーなどデザインに関わる者として働けること
・恋人が関西で働いていて同棲したいため、勤務地が関西であること。
・体力がないため、月残業時間が平均20時間以下であること。
・土日祝休みで、産休・育休・時短勤務に理解があるところ。
・月給が額面で22万以上であること(20万+院卒ボーナスで2万)。
・服装(服や髪色やネイル)や勤務の仕方に細かく指定がないところ。
・障害者配慮があること。

障害者配慮を除いても、こんな条件に当てはまる企業がまず少ないです。営業職や事務職に比べてデザイナーや企画職自体が募集人数が少ないから。加えて、デザインに携わるところは激務であることが多く、より良いものを作るためなら仕方ないと免罪符になっている業界でもあります(よくないね)。また、大企業の場合はデザインセンターを東京に置いているところが多く、デザイナー希望であれば東京勤務という提示が多かったため、関西でデザイナー職を目指すこと自体が難しかったです。

それでも、いくつかは当てはまる企業があり(残業時間に関しては低く見積もってる会社もあるかもしれないけれど)、5社エントリーした結果、1社から先日内定をいただけました。IT系の大阪本社の企業で、デザイナーとして内定がいただけましたし、何より障害者であることも受け入れていただけました。
時期としては早期内定でしたが、自分の提示していた条件に適っていたことと、障害についてとても丁寧に対応してサポートしてくださって、ここで働きたいと思いました。また、就活が終わった方が精神疾患も軽くなるのは見込めていたため、一刻も早く終わりたかったのも本音です。

スケジュール

そもそも私は就活を始めた時に何をどうすればいいかわからなくて、わからないことそれ自体が一番不安でした。精神障害者の就活としてすべきことを明確にするためにも、スケジュール感がわからない不安を解消するためにも、過程を書いておきます。(あくまで24卒の話なので、以降はスケジュール感が変わる可能性もあります。)人によっては、当たり前じゃんと思う内容もあるかもしれませんが、私はその当たり前もわからなく困ったので書きますね。

2022年春から8月まで
ずっと精神の調子が悪く就活どころではなかったため、夏インターンなどにも参加できず、夏休みはずっと恋人の家で療養していました。

2022年9月上旬
マイナビリクナビへの登録
・ディスプレイ業界大手に勤めている方3人(母の過去の仕事仲間と、私の学部時代の友人)と実際に会って、業界や企業について話を伺う
・自己分析と就活の軸作り

2022年9月下旬
・大学の就活面談(11月まで利用)の利用開始
・ES対策説明会や業界別説明会
・企業のマイページへの登録
結局企業ごとの早期選考のお知らせなどは、採用ページからプレエントリーしておかないと届かなかったりするので重要です。実際、私はマイナビリクナビは企業探し程度でしか使わず、実際の就活を進める中では希望する企業の採用ページから登録しましょう。そこから企業に関する情報や動画を見たり、秋冬のインターンに申し込んだりしました。

2022年10月
・Web合説への参加
・SPI対策
・ES対策
・dudaチャレンジからの紹介を頼む
type就活というサイトからWebの合説に申し込みまくって、週末は大体それを見ていました。企業ってこんな感じかとか、知らない企業を知れたりとかして有意義でした。障害者向けや理系向けなど、かなり細かく分類して存在してるので、自分に合ったWeb合説を見るといいです。
また、10月後半からは冬インターンの選考が始まり、SPI受験やESを書く必要や面接に行く可能性が出てきたので、SPI対策本とES・面接対策本を買いました。SPIは2周くらいサラッとやって、マイナビの模試を受ける程度でした。
それよりもES対策や面接でのNGなど、常識性を問われる方が怖かったのでよく読み込んでいました。ASDならではのでのやらかしが私個人としては体感であるので、自覚がある人はこちらを重視しましょう。
ESに関しては、引き続き受けていた就活面談に書いて持っていき、詳しく添削してもらっていました。自分はわかっていることでも、他者の視点から見ると話の通じないこともよくあるので、私のことを知らない人に見てもらうのは非常にためになりました。

2022年11月
・冬インターンへのエントリー(SPI・ ES・面接)
・OBOG訪問(2社ほど行きましたが、あまりピンと来ず私としてはあまり役に立ちませんでした。訪問する企業をしっかり調べてから行くといいと思います。)
・大学主催の対面グループディスカッション対策
・大学主催の対面模擬面接
・気になっていた企業に直接訪問(小さな出版社の代表とご縁があってお話しました。)
ここでやっとスーツが必要になりました。私はリクルートスーツのデザインが嫌いだったので、母の昔のスーツを借りて挑みましたが問題ありませんでした。ストッキングが苦手なASDの方は多いと思うのですが、私もつらかったので直前に駅で履いて終わったらすぐに脱いでいました。面接の間だけ耐えられれば問題ありません。

2022年12月
・5daysの冬インターン(1社)
・企業主催の説明会参加(3社)
ポートフォリオ作り
デザイナー志望なので、今まで作った作品をまとめ直したり修正したり、別件で作ったポートフォリオを編集したりして、数パターンのポートフォリオを作りました。

2023年1月
・ES等のエントリー
ポートフォリオのブラッシュアップ
1月は大学が忙しくあまり動けませんでしたが、ESとポートフォリオのブラッシュアップは重ねて、何社か出していました。

2023年2月
・冬インターンに行った会社からの面接
・IT企業へのエントリーと面接
この月は面接の月だったので、やきもきしたり胃が痛くなったりして、メンタルと体調の管理が大変でした。精神疾患のある人は事前にカウンセリングなどを予約しておくとスムーズでしょう。

2023年3月
・冬インターンの会社の最終面接結果が来て、落ちたことがわかりました(明らかに障害者を差別した発言を最終面接で言われてしまっていたので、それが原因だと思いかなり落ち込みました)。
・3月上旬に最終面接を受けた会社から、内定をいただいた電話で障害を打ち明けました。確認してからまた正式に内定を出すとのことで、翌日何の問題もないということで丁寧な配慮・対応についてやりとりをし、内定をいただきました。就活終了です。

なぜ建築学生なのに建築ではないのか

そもそも建築を5年間(卒業時には6年間)学んでいる学生なのに、どうして建築業界以外へ行ったかということも説明しておきたいです。学部卒で就活するならまだしも、院進してまで建築の、しかもデザインや設計を学んでいる人が、建築に関わらない仕事に就いているのを見たことがありません。日本中を探せばいるとは思いますが、私の先輩方や私の研究室卒業者にはいませんでした。それくらい専門的な学科であることは確かで、私も大学院に入学するまではアトリエ設計者になる気満々でした。

しかし大学院に入って1ヶ月ほど建築を真剣にやる中で、メンタルの調子を今までで一番崩して数ヶ月ダウンしました。回復はしましたが、それと同時に建築を生業にするには精神的にも体力的にも力が足りないことを悟りました。
また、これはエージェントの方にもカウンセラーにも言われたことですが、入社することがゴールではないと言われていました。最低でも3年働き続けることができないのに、無理して繕って入社してしまった場合、辛くなってしまうのは私だと。

また、建築業界と言われるところで勉強したりバイトしたりする中で、業界全体にブラックな風土が強く根付いてしまっていることだったり、男性が多いことからか女性差別をしているなと感じるシーンが多々あり、この環境に身を置いていると蝕まれていくのも感じました。

上記のような理由から、建築業界(ゼネコン・組織設計事務所・アトリエ事務所など)での就活を諦め、デザインに少しでも関われる他業界を見ることとなりました。

就活を始めた頃は建築に近いところでデザインをしたかったことと、展示が大好きだったことから、ディスプレイ業界を特に拝見していました。ディスプレイ業界大手に勤めている方と実際に会って、業界や企業について話を伺う機会も得ました。大変貴重で有意義でしたが、深夜作業があったり、激務であったりして、私の体には向いてないことは明らかで、他の業界を探し始めました。

その結果、私がエントリーした企業はIT企業と印刷会社とゲーム会社のデザイナー・プランナー職となりました。最終的にIT企業でUI/UXデザインを行うことに決まったのですが、残念ながら私には未経験の領域でした。それでも学習環境を整えて歓迎してくださるとのことで内定をいただけたので、建築学生だけれども他業界に行きたい人は臆せずトライしてみましょう。案外、大丈夫です。

必須なツール・サイトまとめ

  1. Notion

    Notion (ノーション) – Wiki、ドキュメント、プロジェクト。すべてをひとつに。

    普段からNotionというアプリのユーザーではあるのですが、就活のページをきちんと作りました。①掲げている目標や希望(見失わないように)・②自分がよく行く就活サイトのリンクリスト・③企業リスト(企業名/業界/選考段階/締切/マイページのURLなどの表 )を作ってまとめていました。
    自分が今何をすべきかとか、迷った時に一目瞭然であるべきところに帰って来られる場所なので、Notionでなくてもこうしたものを作っておくと便利です。
  2. SPI対策本とES・面接対策本
    特にどれがいいとかはないので、書店に行ってきちんと手に取って見て、自分が良さそうだと判断したものを一冊ずつ使ってください。 その年度の時流もわかりますし、最低限のお作法が書いてあるので、ES添削を受けられない人でもこれに倣えば大丈夫です。SPIは最低1周はやろうと言われました。
  3. マイナビリクナビ
    私は主に企業探しのために利用しており、ここからエントリーした会社はありませんでした。自己分析のための診断ツールやSPI模試などが揃っていて、就活の始めの方でかなり役立つと思います。登録しておいて損はないです。
  4. type就活

    type就活 | 就職の本質を考えるキャリア研究サイト

    Webでの合説が多く行われていて、あの企業ってこんな感じのことやってるんだとか、待遇をちゃんと説明してもらえたりとか、人事の方の雰囲気の比較ができたりとかで便利でした。
    マイナビなど主催の現地での合説もいいのでしょうが、私のように人混みやうるさいところが苦手な人はWebの合説の方が向いていると思います。大抵は顔出しなしなので、パジャマで寝っ転がって見れるのも体調的にグッドでした。
  5. dodaチャレンジ

    障害者雇用の求人・就職・転職支援サービスはdodaチャレンジ
    これは障害者雇用専門の就活サイトです。私は最終的に一般枠で障害者配慮をしていただけることになりましたが、障害者枠での採用というのも大手になればなるほどあるので、検討してみてください。こちらは自分で検索するデータベースの他に、エージェントも用意されています。
    私は勤務地とデザイナー職、残業が少ない正社員を条件にエージェントの方に探していただきましたが、残念ながら適応するものはありませんでした。事務職などはたくさん求人があったので、障害者の方でそちらの方面を探している人には有効だと思います。
    エージェントの方とは電話でやりとりするのですが、障害者雇用の仕組みや、求める配慮の伝え方など基礎的で重要なことを教えていただけたので、仕事が見つからなくても私にとっては大切なやりとりでした。

  6. 就活相談室
    大学の就活支援センターなどに就活相談室や就活面談があると思います。飛び込みで行けるものもあれば、ネットで予約するものもあると思うので、自分の大学サイトをよく読んでみてください。
    私の場合は、かなり親身になって30分から1時間ほど一対一で相談に乗ってくれました。もちろん障害者であることも相談しましたし、どの業界が向いてるか、そもそもどんな業界が存在してるのかなど、幅広く対応してくれます。自分を知らない人として、人事の視点でESを添削していただけるのもありがたく、私は秋頃に週1で通っていました。

就活をするにあたって

先程も書きましたが、就活は入社して終わりではありません。むしろそこからがスタートです。長く働き続けることが目的ではありませんし、転職も当たり前の時代ですが、ファーストキャリアが自分にとって過ごしやすく、学びやすく、働きやすい環境であることは本当に大事です。
何番煎じかという話ですが、そのためには自分と企業群をいかに分析してマッチングしていけるかという話にもなります。障害を持っていると、多くの一般の人と違うことが多いので、自分を分析する要素が増えますし、説明すべきことも増えます。大事なのは、自分で自分を把握して、他者に説明し、共に働けるのだということをこちらが示す必要があります。障害というつらい部分に向き合うので、とても大変ですり減ることですが、ここを乗り越えなければならないのは確かです。

実際に、内定をいただいた企業からの最終面接のフィードバックで、「自己理解がよくできていて、困難にあった時にどのように乗り越えたかがよくわかったことが信頼に繋がった」という趣旨のことを伝えていただきました。
これは過ぎた言葉ですが、実際に自己分析や障害や特性や欲望と向き合うことにはかなり時間を費やしたので、とても嬉しい言葉でした。

内定をいただいたから思えることかもしれませんが、落ちた企業も含めて、半年程のこの就活で様々なものを得て、成長できたと胸を張って言えます。不安になってしまった夜も、憂鬱な朝も、全てを含めて自己鍛錬の半年になりました。

障害を持った方、他業界に行こうとしている建築学生などあらゆる就活生が、このブログを少しでも参考にして、自分に納得できる就活ができることを祈っています。

エブエブ

2023年3月13日(月)

昨夜は遅くまで飲んでいたので、朝は10時頃起きることとなった。だらりだらりと服を着てメイクをして、稼働しようかなぁと頑張る。朝のこの時間が一番つらくて、どんなに寝ても足りない私にとっては戦いの時となる。

あっという間に11時頃になり、早めの昼食をとることにする。野菜とタンパク質がとりたくてゴーヤチャンプルーをおかずに玄米ご飯と残り物の味噌汁を食べる。かなり美味しいなあと思っていたのに、食べ終わってから豆腐を入れ忘れていることに気づいた。食べたらなんだか眠たくなってきて、15時ごろまでぽやぽやと眠ってしまう。朝の戦いが無意味になってしまって悲しい。

起きてからせめて時間を有効活用しようと、就活が終わったらやりたかったことリストを見てみる。ここにも一度書いておこう。

・友人と会う
・髪を染める
・ジェルネイルを始める
・部屋の片付け
・服と本の断捨離
・ダイエット本格化
・ITパスポートの勉強
・プログラミングの勉強
・UI/UXの勉強
・母校を訪れたい

こうして見てみるとあまりに欲張りな気もするけれど、書くのはタダだし、志は高く。宣言することで行動できるタイプだから頑張ろう。まずは簡単なものから、形から、ということで、いつも行く美容院にカラーの予約を入れる。本当はカットもしたいところだけれど、お金が足りないので諦めよう。やることリストに新規アルバイト探しも入れなきゃなと思いつつ、さらに自由になる。
それはジェルネイル。ずっとやりたいと思っていたけれどなんとなく敷居が高くて、さらに就活中はネイルができないから諦めていた。やっと自由な姿になれる!やり方から必要な用具から調べていくと、とにかく工程が多くて時間もお金もかかる代わりに落ちにくく可愛い仕上げになるとわかった。調べていくと親切なサイトがあって(下記に貼っておく)、写真付きの過程でなんとなく把握できた。

https://7beauty.jp/beautycolumn/nail/selfgelnail-basic-method

要は爪の状態を綺麗にして、ベースジェル・カラージェル・トップジェルの順で塗りながらライトで固め、余分なものを拭き取り保湿するという流れだ。ハードルを下げるために、なくてもokと書かれているものは省いて、最低限出来上がるのに必要なものを、それぞれ初心者用おすすめで調べてamazonで放り込んでいく。8,000円くらいで揃えることができて内心ほっとしつつ、久しぶりに新しいことを始められる喜びに、何かの物質が出ているのを感じる。

そんなこんなでもう17時。仕事帰りの母と映画に行く約束をしていたので、駅へ向かう。観終わってからでは遅いので、早めの夕食をとる。アジア映画への称賛も兼ねてエスニックだ。ガパオライスってどうしてこんなに美味しいんだろうと思いながら名前のわからないハーブを全部熟知できたらいいのにと思う。次の目標はこれにしようか。

観る映画は『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』。中国系の女性がアメリカでコインランドリーを経営しながら夫と父と暮らし、レズビアンの娘がいる。しかし、突如としてマルチバースへの世界へと引き込まれて......という話だ。半年前くらいに予告が出てきた時は、マルチバースがよくわからなくてアベンジャーズってこと......?などと思っていたが、観てわかった。要は、存在しうるあらゆる自分の可能性との邂逅と、相互影響と唯一性の話のことなのだった。
観ている間、そのマルチバース描写に既視感があった。それは、躁鬱の躁の時に感じる全能感だ。私には統合失調感情障害という精神疾患があって、躁状態になることがよくある。躁になるとあらゆる世界線で生きている私が、同時にリンクしながら応答してくれる感覚がある。あれはなかなか説明しても理解してもらえないのだけれど、本当にそれと似ていて、終わった後は仲間がいるような安心感から涙が流れてきた。
映像や美術のレベルとしても、映画でやることの意味としても、物語性や詩性にしてもとにかくリンクするものが大きく、観ていて刺激的なのにどこかほっとする素敵な体験だった。激しいのでとにかく疲れたけれど、魂の一本になることは間違いない、映画館で観ることができて心からよかったと思える体験だった。

映画館から帰る途中に、登場人物のジョイのような色彩の狂った服装の人がいて、私もマルチバースしちゃってる!?と思いながら、評を見てみようと調べていると、アカデミー賞をとっていることを知った。何事にも疎くて困ってしまうが、自分が好きだと思ったものが、アジア人製作の映画として世界的に高い評価を得ているのはシンプルに嬉しい。主演女優賞を獲ったミシェル・ヨーは『Crazy Rich  Asians』の母親役でもかなり好きだったので、世界はようやく魅力に気付いたかと思った。名誉白人のような態度を取ったことのある日本人が、簡単にアジア人として連帯することには慎重になるべきだとも思いつつも、アジアが世界を席巻する世界線にいれてよかったと思うのだった。

雪だるま式

2023年3月10日(金)

一度いいことがあると雪だるま式にいいことが続く。

昨日、内定が出て無事に就活を終えたので、教授やお世話になった人など各所に連絡をした。一度デスクに向かうとなんだか今までになかった気力が湧いてきて、Notionの就活関連ページを整理してアーカイヴに入れたり、開き続けてた無数の企業サイトのタブを閉じたり、マイナビ等のメールを停止してGmailから大量のメールを削除したり。
とにかくそうした煩雑だけれど、どこかで区切りがつかないとできない事務的作業を大量にこなした。

Macbook内の一部がすっきりすると今度はデスクの状態が気になってくる。片付けるのが苦手で万年散らかり放題の私が、デスクの状態が気になるなんてこと滅多にない。天変地異の前触れは言い過ぎにしても、かなり気持ちが上向いている私にしてはとても良い状態なのだと感じる。
1200×600mmのまあまあ大きなデスクは、Macbookを置くスペースだけ確保して書類の山に囲まれているのにやっとこさ気づいた。そのほとんどはリクルート関係のDMや冊子で、ところどころに研究室のレジュメと、マイナンバーとコロナワクチンと年金の書類が混じっているのがわかった。いらないものを精査して捨てて、ついでにレジュメをファイリングして横に差しておく。

デジタル上でもアナログでも、就活関連のことを整理して片付けたら随分と心がすっきりとした。昨日の時点でも十分晴れていたけれど、さらに晴れることなんてあるのかということと、私が自主的に片付けをすることがあるなんてということに驚く。

いいことはまだあった。

片付けの途中、外に出たいおばあちゃんと一緒におつかいに出て、乾物屋さんで茶葉を買った後、お昼のために餃子の王将に寄った!何を隠そう、私は餃子の王将が大好きなのだ。
すごく幸せな気持ちになりながら開店直後の王将に入ると、ちょうど私たちが座ったところで席が満席になった。ラッキーだ!メニューを開いて大好きなキムチ炒飯を食べようか迷ったが、タンパク質を取りたくて酢豚とミニ炒飯にした。低GI(?)の良い選択でえらい!案の定、酢豚は甘酸っぱいとろみとサクサクした衣で大変美味しかった。
その後、スーパーで冷たいものを買う際に、私が持つからと大きな豆乳のパックとギリシャヨーグルトを買えた。家で食べるものを自分でチョイスできる機会がなかなか少ないのでとても嬉しい!

そうして満足した食事とおつかい、すっきりとした片付けをこなした私は、おやつごろすやすやと眠ってしまった。

突然の電話で起床。仕事終わりの母からの電話で、一緒に行くジムに向けてのものだった。慌てて身を起こしてジムへ向かう。いつもより暖かい道中が完全にウォーミングアップとなり、ぽかぽかした身体でジムに入る。いつもより多めにトレーニングできたことに喜びを感じつつ汗を拭き、帰路につく。

帰ると、就活の終わりを祝してささやかなご馳走が用意されていた、私が好きなものばかり。塩昆布とにんじんの炊き込みご飯に、蟹玉、菜の花の辛子和えに、桜かまぼこの板わさ。梅酒がするすると進んで、楽しく美味しく、実家で夕食が取れたのはいつぶりだろう。テレビではWBCという野球のお祭りが流れていて、ちょうど日本が逆転したところだった。

一度幸せになると次の幸せに向けて行動が起こせるし、小さな喜びにも気づきやすい。逆もまた然りなのだろうと思う。今が好転の瞬間だとしたら、このままゆったりとした回転でもいいから維持していたい。難しいだろうか、今日のような春を覚えているのは。

春がきた

2023年3月9日(木)

今日は随分暖かい日だった。
ニットではなくブラウスを着たし、花粉症はいつもよりひどかったし、電車に乗り込むと冷房までついていた。
いよいよ冬から春に変わったのを強く感じながら、私は一人そわそわしていた。

火曜日に最終面接を受けた企業から、今週中にお返事をしますと言われながら待っていた。ただ木のように待っているわけにはいかないので、大学院の先輩と食事の約束を入れていた。カフェに寄ってから商店街を散歩していた時、電話は来た。

喜びの成分があったならば、それが全身を駆け巡るのを視認できるような感覚になるのを感じながら電話越しに内定のお知らせを聞いていた。安っぽいが自分のことではないようだった。徐々に書類等の事務的な説明に移っていった頃、電話のために離れてくれていた先輩に向かって親指を立ててにこにこしてぴょんぴょん飛び跳ねる自分がいた。

丁重にお礼を言いながら電話を切って、まず恋人にLINEをした。次に母に送ると、待ち遠しかったのかすぐに「おめでとう!!!」と来た。Twitterにも「就活おわりました!!!!!」と投稿すると次々といいねとお祝いコメントが届いた。花が次々と咲く春のようにお祝いされるその様子に、どこか既視感があった。辿ればすぐに発見され、それは大学受験終了の時だった。

でもその時よりも嬉しい。大学受験は一応希望する勉強ができるところに入れたものの、滑り止めで、悔しさも歯痒さもあった。でも今回は違う。私が就活をするに当たって最初に書き出した条件を全て満たしていて、面接や人事の人とのコミュニケーションを通しても「ここだ!」という感触があった。

今まで行ってきた苦行から逃れられるという開放感以上に、自分の未来に対して希望を持てるという新しい感覚も手に入れた。それは親元を離れて、自分で生活費を稼ぐ手立てを得たという安心感も、その喜びを手伝っていたと思う。

自立に向けて道筋が見えた。

内定がでた、春がきた。

2022供養

やっと1年が終わる。もう終わってしまうのかという追われている気持ちよりも、やっと精算できるというような気持ちの方が大きいため、タイトルもこの通りとした。それくらい試練の1年だったのだ。

ざっくりと月毎に振り返っていこうか。

 

1月、学部の卒業制作に追われる日々だった。

体調を壊したまま迎えた年明けから、突っ走ることように、しかし踏ん張って、なんとか作品を仕上げやうとゴールだけを見た狭い視野で、たくさんの人に迷惑をかけながら生きてた。毎日毎日泣いていた。今でも記録こそ残っているが、記憶はほとんどない。泣くか作業するか眠るかで、学生版モダンタイムズだった。

2月上旬、卒業制作を作り終えた。

賞も無事いただいて、嬉しい嬉しいと疲れた身体で酒に溺れたら翌日からひどい風邪をひいた、お馬鹿だから。そのあとは京都で骨を休めたり、身辺整理をしたり少し落ち着いて過ごした。作り続けていた時の燃料はもうなくて、けれど心はどこか宙ぶらりんで、自分の本当にしたいことがわからなかった。

3月、旅。

最初に卒業旅行として仲の良い6人組で熱海旅行に行った。大学で友達付き合いを頑張らなかった私にできた、唯一の大切な友達たちだ。エアビーで借りたオーシャンビューの部屋から、6時半に眺めた朝日の色も、カフェバイトの子が淹れてくれたコーヒーの味も、まだしっかり覚えている。その後も金沢旅行をしたり、箱根の美術館に行ったり、遠出が尽きず、合間で外部のコンペティションに卒業制作を出していた。そこでも賞がもらえて、私の力は全国に通用するんだと、井の中の蛙ではないのだと少しほっとした。

4月、新生活。

大学院生になった。世の中の人が想像するよりずっと授業が濃密で、研究よりも授業での課題の方が忙しいくらいだった。その中でもゼミの先輩の”お言葉”を吸収しようと頻繁に飲み会に顔を出しては、建築論議をしていた。一番建築学生らしい1ヶ月だったと思う。忙しさがおしゃれというか、映画っぽい日々だった。

5月、暗転。

GWは楽しく過ごしていたはずだった。その後大学に行っていたのにしばらくした頃、涙が止まらず、起き上がれず、幻覚が見え、常に死にたく、全能感と絶望感を行ったり来たりするようになっていた。手を差し伸べてくれた全ての人間が敵に見えて、身体的な不調の存在にも気づけないくらいに精神面の異常が際立っていた。幸い、かかりつけの精神科にコンスタントに通っていて、次の予約もきちんとあったため、取り返しのつかない事態(自死)には至らずに済んだ。それでも、人生で一番辛かった。死にたかった。あの時死ななくてよかったって今なら言えるから、思い留まらせてくれた周りのたくさんの人々ありがとうございました。

6月、沈黙。

大学に行けない日々がまだ続く。入院のできる病院へ転院を進められながらも、今のカウンセラーとの相性が良くて、なんとか外来で治そうとじたばたもがく。同時にこの時点で単位がやばかったり、家から早く出たくて就労を目指したりして、大学院を中退しようとしてしまう。今思えば、こんな精神状態でいきなり環境を変えて働いたりできるはずはなく、この時にカフェで相談して止めてくれた(正確には判断は今やめて休もう)と提案してくれた友人に感謝したい。指導教授にも相談し、やっぱり止められたの、今となってはもはや懐かしいな。

7月、復帰。

少しずつ冷静になれる時間が1日の中で増えてきて、中旬から大学に顔を出し回収できる単位を少しばかりいただいてきた。色んな人に再会しては怖くて、帰宅して泣いていた。それでも少しずつ普通の振る舞いができるようになってきて、周りに「おかえり」と迎えられることも増えた。単位を全て落とすことにならなかったのは有難いが、学部の成績を参考に追加レポートのみで単位が出たものもあって、高校の頃を思い出した。高校で心身を崩して単位が足りなかった時も、中学の成績を参考に補填していただいたのだった。輪廻は回るね。

8月、京都。

大学前期を終えて、中旬から京都の恋人宅に1ヶ月滞在した。幸せな日々だった。馬鹿なこともしたし、反省したいこともあるけれど、自分を安全な場所に置いて世界一好きな人と過ごしていい期間は、精神の回復に本当に大きな貢献をした。この時間の幸せ蓄積があるから、その後も、今も頑張れているなと思う。忘れられない夏になった。この滞在期間で、一品とかではなくフルで食卓を作ることができるようになったのは大きな成長だった。そんな日は来ないだろうけど、恋人と別れて実家を出て一人になっても「私は私を食わせられる」みたいな予感がちょっぴり勇気に変わった。

9月、帰還。

実家に帰った。気持ちとしては恋人の家がもうホームだったけれど、それでも家の断熱・防音・水回り・自分の好きなものが自室に多くあるなどの環境面はやはり有難いのだなと、図らずも実感する機会となった。心身共に健康になって現実に引き戻されると、待っていたのは就活だった。大学の後期開始と共にかなり焦る日々となり、様々な情報に振り回されながらあわあわしていた。就活はこれを書いてる大晦日現在もまだまだ続いているから、あの焦っていた日々を思い出すと冷や汗が出てくる。

10月、始動。

大学後期が本格始動して、後期こそは単位を取るぞと息巻いて頑張った。なかなかにハードなところもあったけれど暑さが苦手な私にとっては、精神異常を連れてきた暑さがやっと去っていき、自分のコントロール感が出てきてなかなかによかったね。大学にも通えて、展示も見に行けて、素敵なデートもできて、通常の自分が戻ってきたのかなと思えた。秋は良い月よ。

11月、稼働中。

大学後期前半の課題のやっつけと就活に追われる日々だった。Notionとか手帳がちゃんと軌道に乗り直して、自分の記録が正確に取れてきたことが功を奏したのか、忙しくても過食をする程度で済んだ。就活に進みがあったり、単位が取れたり、それでも無理してるなと感じるイベントはキャンセルしたり、そういう判断ができた自分を褒めてあげたい。友人とドレスアップしてパーティーしたり、ピカソを見に箱根に飛んだり、me and youの読書会に参加して素敵な気持ちになったり、文化に溢れた月でもあった。

12月、反転。

第一志望の選考直結5daysインターンに進めて参加した。5日間働けたことも、帰ってからも作業したことも、毎日スーツを着て同じ時間に決まった場所に行けたことも奇跡みたいで、自分で自分に感動した。半年前の死にたかった私には絶対にできなかった芸当だ。そんな真面目な出来事に挟まれるようにデートがあり、どちらも派手だった。前者の東京デートではホテルのバーに足を運んだり、豪華で濃密な2日間を過ごしたし、後者の京都クリスマスデートではシガーバーや葉巻室に行ったり、ディナーを食べたり、まあどちらも幸せだったってことよ。一昨日帰宅したけれど、家には6年前の自分からの手紙が届いていてそれが一番のサプライズだった。

 

月毎にさっくりと書き出してみたけれど、こう書くと乱高下がすごい。気圧変化で頭痛がするタイプの人だったら、私の精神の上下についていけなくて頭が爆発すると思う(キングスマンの頭が爆発していくシーン綺麗だよね)。

改めて、私はこの一年(常に、だが今年は特に)で本当に多くの感謝すべき人を持ったなとわかった。来年以降は、恩返しできる人になれるように行動していきたいね。

 

でも2022年1月1日に決めた2022年の目標は「熟慮した上で欲しいものは絶対に手に入れる。そのための努力は惜しまない。」だった。それに対して言えば、目標の大幅な変更や落ち込んでいた時期はあったにも関わらず、焼酎片手にそこそこ幸せに生きれている今を手に入れられたことと、今生きていること、それが答えになるんじゃないか。

来年も、死なずに頼む!!!