よくやった、動乱の2024
毎年、年の瀬どころか紅白が始まる時間になってから駆け込みで書いている1年の総括。今年、2024も同じくギリギリ、ずっと滑り込み人生です。
例年までは月間ごとにふりかえる形式でしたが、今年は様々なジャンルの出来事が同時多発でバラバラと進行したので、6つのジャンルごとでふりかえることにしましょう。6つは「アカデミアの区切り・労働して生きる・生活と環境・結婚というプロジェクト・美容とセルフケア・たのしみの変化」とします。
1. アカデミアの区切り
まず、2024年がスタートした時点では私はまだ学生でした。学部と同じ研究室で修士へ進み、M2のフィニッシュ間際から始まった2024。「建築とフェミニズム」というテーマを台所を媒介として修士論文を書いたのですが、無事に1月中に書き終え、その後発表まで終え、卒業させていただきました。
2年間の修士課程の途中で結婚や引っ越しを挟んだので、アカデミアの部分に完全集中できない時期もあったり、心身の都合でまるで思考できない期間もあったりと、納得できるものではなかったものの、夫の支えの元で無事に工学(修士)を修められたことを誇りに思います。
教授や学友にも多くの刺激を受け、ああして学び、考え、書くことに集中できる時間が2年もあったのは恵まれているなと実感しています。一般的な建築学生とは異なるムーヴをする私のことを、業界において稀有だとか、言葉の力だとかを研究室だけでなく結婚式のスピーチでまで褒めてくださった指導教授には、本当に救われました。彼に認められたのかもしれない、というそれだけが今も私の矜持です。
工学修士の卒業を以て私のアカデミアラインは一度中断し、労働と生活に今は集中していますが、いずれは建築系の博士か、別ジャンルの修士などで大学という場に戻れたらと願っています。古い友人に最近会った際も、UFOはアカデミア向きだよねと声をかけてもらって、励まされたのです。
いつか戻る、その日のためにも、卒業以後はおろそかになっていた執筆と読書の量を圧倒的に増やす2025にします。
2. 労働して生きる
24卒としての就活をM1中に行い、IT企業でのデザイナー枠を内定いただきました。そして、2024年4月から無事就労して今に至ります。(就活についての詳細はこちらの記事をご覧ください→24卒・精神障害者の建築大学院生がIT企業から内定をもらうまで。 - UFOがずっと着陸できなくても)
多くの就活生や大学生からすれば当たり前のことかもしれませんが、障害を抱える私にとって突発的な休みを避けて、安定して働き続けられる日々は想像できませんでした。3ヶ月の研修を終え、その後も夫の転勤に伴う10月の異動もありながら、2024年の最後まで働き続けられるなんて思ってもみませんでした。今でも信じられなくて、うっすらと感動しつつ、私ではない人が働いているのでは?という淡い離人感があります。
フレックスやリモートの活用など労働者側に寄り添いのある会社と、家事を主体的に担いながら精神的に支えてくれる夫の存在は本当に大きいですが、それ以上に「生活を賄う」という感覚が私にとって大事なようです。
実家にいる時は、バイトで生活費などを賄っていたわけではので、あらゆることに許可が必要で、自身に決定権のない状態が当たり前でした。実家で面倒を見てもらっている以上、ある程度はどの家庭でもそうでしょうが、私の家はかなり踏み込んでくるものでした。
そうして失われた、自身の生活におけるコントロール感が、労働により得られる生活資金によってゆっくりと取り戻されたのでしょう。労働によって家族や友人と関係のないコミュニティで、ドライに必要とされる状態も効果的でした。
労働をするとまとまったお金がもらえて自立できるという体験があることで、自身に対して自信がつきました。今後、アカデミアに戻るかどうかに関わらず、それはずっと芯にあるでしょうし、ある程度自由にできるお金がある状態にすべきだとも学びました。
3. 生活と環境
2024年で2回、引っ越しをしました。忙しないね。引っ越しが好きで慣れてる大人とか、転勤族出身とか、ミニマリストとかならまだしも、生まれてこのかた実家から出たことのなかったマキシマリストには環境の変化で胃がひっくり返る日々でした。
1月の末、横浜の実家から京都の夫の家に引っ越したのが1回目。2023年11月に結婚した時に二人で決めた家で後から参入する形で、結婚後の同居となったのです。その後、夫の転勤に伴って、京都の家から東京の今の家へ二人で引っ越したのが2回目。実家の自室から一人で知らない土地へ行く時と、二人で生活を構築していた矢先によく知る土地へ丸ごと引っ越すのでは、必要な物・準備・心持ちもすべて異なって、稀有な年だとしみじみしています。
夫との暮らしはとても楽しいです。たまに喧嘩はする、というか私の感情爆発で突進することはあるのですが、概ね夫がおおらかに受け止めてくれることで成り立っていて、本当にありがたいことです。
家そのものの運営でも、精神的な面でも、夫に頼りきりの京都生活は正直申し訳なかったです。でもこうして東京に戻ってからは私が友人に会えるようになったことと、結婚式という私メインのイベントが無事終えられたことで、もう少し私がしっかりしてくれ〜!と自分に願っています。
2回の引っ越しによって、夫との二人暮らしという全く新しい生活環境を、強制的に考えられたのは逆によかったかも、とも思います。環境の変化が大苦手な特性の私が、物理的動乱で生活を多角的に見られたり、環境構築に時間をかけられたりしたなと好意的に捉えているのはちょっと驚きです。
どういう家にしたいかとか、二人での運営方法とか、そういったことはまだこれからゆっくり考えていきますね。
4. 結婚というプロジェクト
結婚の流れで言うと、2023年11月結婚、2024年1月同居開始、2024年11月結婚式です。
書類上の結婚自体は去年でしたが、煩雑な手続きを先に済ませて、修士論文と卒業証明書を新姓で出すためだったので、同居や結婚式のあった2024年が結婚の年という自己イメージになります。同居に伴う生活や環境の変化は先ほど触れましたが、明確な期日のあるプロジェクトである結婚式は本当に大変でした。
2024年1月に結婚式場の下見をして、ほんの数例で即決しました。六本木に構える国際文化会館、建築的な歴史的価値、庭園と建築のマリアージュで成り立つ演出、ホテルオークラのお食事などが決め手となり、シックな結婚式ができそうだと頷き合いました。
最も重要な衣装だけでなく、お花、お食事、会場飾り付け、演出の構成など決めるべきことがたくさんあります。私たちは招待状を紙とWebで出し、どちらも私が自作することに決めたので、それもかなりハードでした。衣装に合わせた美容や体づくりといった部分も私が主にやるべきことだったので、この時期が一番喧嘩していたと思います。
お互いの今までの人間関係がすべて一堂に会するのが結婚式なので、それに対する心理的なハードル・緊張もあり、ナーバスさは人生随一だったと思います。「あなたが楽しんでくれるのが一番だよ」という友人たちの言葉に救われ、無事に当日を迎えられました。
当日は一瞬一瞬が静止画で残るような胸の高鳴る挙式と、めまぐるしくシーンの変わる披露宴で、「『人生 第一章 完』だ......」しか感想がありません。友人や家族への感謝と共に、これから本当に夫と生きるのだ!という覚悟も芽生え、結婚式以前よりも仲良くなった印象です。
人生で一度の予定な結婚式、多くの方にご参列いただき無事に終えられて、今の自分にとってベストな姿も残せました。当日の夫が思ったよりも緊張していたり、友人たちがびっくりするほど泣いて感動してくれてたり、うれしいこと尽くしのままで唯一無二の儀式と思い出となって、安堵と感謝に包まれています。
そんな大プロジェクトを終え、一つ問題が。今まで、小中と勉強などでがむしゃらに過ごし、高校は闘病、大学からは学業と研究に勤しみながら、遠距離恋愛の中で関係を進め、就労もしつつやっと結婚式まで走り抜けました。スケジュール的な休みはもちろんあったのですが、気持ち的に何も先に予定がないのは初めてで、正直呆然としています。
ここでまた新しい大目標を立てることも可能っちゃ可能なのですが、夫との新婚生活や新卒としての安定的就労のためにはたくさんの調整時間が必要ですし、あまりにも動乱だった2024に対して、2025は内省の多い静かな年にできればと思っています。大きなプロジェクトのない一年を想定して、その中でいかに充実した日常の基盤を築けるか、見極められるいい機会が訪れてうれしいです。20代も後半、落ち着いて座ることも覚えたいです。
5. 美容とセルフケア
結婚式に伴い、美容と体づくりにも多く時間を使った一年になりました。実家を出たことで、入浴後の時間の使い方や食べるものの内容を決められることによって、カスタマイズの自由度は上がりました。
体づくりのために最初はヨガ専門ジムのLAVAに入会したのですが、通いにくさが仇となって続かず。その後は宅トレをメインとしていました。東京への引っ越しをきっかけに近所のパーソナルジムに入会し約一ヶ月強の食事管理とトレーニングで8kgの減量の結果でした(真似しないでね)。
美容医療は特にしませんでしたが、2023年の終盤から取り入れていたIPSAでの肌診断とカウンセラーが性に合ったようで、結婚式間近ではライン使いしていました。結婚式当日のメイクはプロの方に任せられますが、土台となる肌の部分は日常の担う部分がかなり多いので、保湿をしっかりしていた肌は当日結構褒めていただけました!
お風呂タイムから連続するスキンケアの時間や、パーソナルジムでの専門的な知識など、安心させてくれるものが多かったのもあって、自信を持って式を迎えられました。美の不安を解決するのはお金と時間だなと、世知辛くも実感します。このうちのどれを継続するかは、今後の余裕次第ですが、明確に自分を大切にしている要素があるのはメンタルにもきっといいはず。
もう少しヘルスの面で言えば、引っ越しに伴って精神病院が変わったのをきっかけに、正式に発達障害の診断が降りたのも、統合失調だと思っていたものが解離性障害だと教えられたのも今年でした。メンタル以外だと婦人科でも悩みは多かったのですが、自身の特性と照らし合わせて低用量ピルからミレーナという挿入型の器具に変えたことも生活をガラッと変えました。
自分ではあまり変化がないと思っていましたが、あまりにも濃密な一年だったためか、この変化もあの努力も2024だったか!というものばかりでした。心身ともに大きく変化したり、捉え直した中で、思った以上に自分が自分の身体を愛していることや、物理的な制約である身体に人は強く左右されることを知りました。
来年の心身に対する目標については、もう少し熟考したいと思います。
6. たのしみの変化
学業・就労・生活・儀式とあらゆるタイプの忙しさを抱えた中でも、人生のたのしさを求める時間はありました。数年前ですと、それは映画だったり、毎日の服装だったりしたのですが、今ではかなり脇に追いやられています。今年たのしかったこと・時間を思い出すと、旅行・展示・食などになるでしょうか。
旅行は、夫と冬の京都を楽しみたくて行った伊根旅行・古い友人との尾道への卒業旅行・キューバ旧市街とマドリードへの新婚旅行。どれも違った体験、たのしさで、昔は少し敬遠していた旅行って定期的に行くべき良いものだなと認識がガラリと変わりました。
旅行に行けない時期は、美術館や博物館での静謐な没入が、現実世界と心のバッファとなってくれて、非常に重要な時間でした。2025ではもっと美術的・歴史的知見を身につけて良い眼で観れたらと願います。
旅行や展示だけでなく、外出に必然的に伴う食の時間も本当に楽しく、元々食べるのが好きな自分にとって美食の2024になったのは図らずも嬉しかったです。家での料理にもいい影響があり、健康との兼ね合いも考えながら「美味しい!」の瞬間を追い求められる夫との毎日の食事が最高のご褒美でした。手数の多い料理に振り回される側面もあったので、2025ではもっと食材の旨みを引き出せたら。
以前、私の趣味の代名詞だった服飾。2018年から続き、日々の記憶の結晶として毎日違う服装を残す#Recordofclothes 企画。2024を以て終わりにしたいと思います(これについてはまた後日書きますね)。持っている服のターンオーバーと、日々の記録への考えの変化によるものなので、これからも服自体は面白く美しく着ます!
こうして、2018年からの自己完結プロジェクトを終えたり、夫との一大プロジェクトである結婚式を執り行なったり、実家を出て夫と暮らしたり、お金を払って学ぶ人から働いて稼ぐ人になったり、あまりに大きな変化の連続が2024です。ですので、ここ数週間はなるたけ今年をふりかえるようにしていたのですが、あまり整理がついておらず、これを書いている今も正直しっちゃかめっちゃかですが、なんとか形にしたのがこの文章です。
もう少し時間が経ったら、2024の全貌や、それだけでなくこの節目までの人生が見えてくるかもしれません。その時までは、この文章を踏まえた上で2025の私に何をして欲しいか僅かな時間で考えていきます。こうして自分の手で文章を紡いでいくことは、絶対に私の助けになるはずです。いつかこれを読んで、笑い飛ばしながら頷く日のために、少しでも書いて書いて、書き残して前に進みます。
それでは、2024も残り20分弱。みなさま、よいお年を。
始まる、2024
毎年、目標のようなものを立てています。
と言っても、単一的な目標だと年半ばで達成してしまった時が宙ぶらりんだし、ジャンルごとに細かな目標を立てたりもしたいので、背骨のようになるその年心がける概念というか、標語のようなものを一つ立てます。それに付随させながら、いくつかの具体的目標を掲げるんです。そして、月目標をそれぞれの月の初めに複数個立てて、月末にそれらの振り返りをします。そういうシステムでやっております。
それでは、その標語と目標を掲げておきましょう。
2024年の標語
平常心でいられる環境構築に努め、自己と他者を分けながら双方の幸せを願うこと。
これは、学生生活を終えて働き始めたり、夫婦の新居に引っ越す予定があることなどから、環境の構築がとにかく大事だなという思いから始まった標語です。中でも、気分が上がるだとか、ワクワクするということよりも、静かに穏やかにフラットに過ごせるようにしたい気持ちが強く、前半部分が出来ました。
後半部分に関しては、つい自己犠牲的になったり、逆に自分勝手になったりしてしまいがちな中、その根本的原因は自他境界が曖昧なことにあるなと感じていたので、そこを直していけたらということです。
果たしてこの標語を胸に一年過ごすことで私は変われるのでしょうか。変われるように、NotionのHomeのページに書いて毎日気に留めたいと考えています。
2024年の目標
1.穏やかにいられる部屋の構築。
2.まずは仕事に休まないように行く。
3.Notionと日記とアプリの活用でライフログ。
4.姿勢と体型、美しく。
5.お金の運用を明確に探る。
6.あらゆる文化(展示・本・映画)の摂取。
7.京都・大阪に心の居場所を見つける。
これらは本当に文字通りなので特に説明は要りませんが、ここに宣言しておくことで自分への戒めとできたら。こうやって見ると、私はライフログを取りながら、カルチャーを吸収して、穏やかに美しくいたいという望みがあるのだなということがよくわかります。これをさらに細分化することで月目標として設定できれば、2024年が終わる頃には変容した自分がいる、はず!
ということで、これらの標語と目標を掲げて、2024年を過ごしていけたらと思います。
今年もどうぞよしなに。
(このブログの場ももっと活用して、たくさん書いていきたいですね。)
2023まとめ
2023もそろそろ終わります、あと数時間。紅白をつけてたら山ちゃんの歌声が聞こえてきて、本家最高じゃん!になってしまいました。ジャニーズが出なくなったり、ディズニー特集があったり、有吉が司会やったり、NHKも変わっていくんだな〜。私も変わった、もっと変わりたい。
という訳で、この変革の年2023、総振り返りです。
一月。
夫となる人の家族に初めて会ったお正月から始まった一月。親友と映画に行ったり、恋人に誕生日を豪勢に祝ってもらったり、また別の友人と美味しい時間を過ごしたり、幸せなイベントが多いながらも、メンタルクリニックと大学に通う、穏やかで一番いい季節でした。
2024年もいい一月になればと願いながら、いや、そもそも2024年自体がいい一年になりますように。
二月。
二月上旬は恋人のところでふわふわと舞い、冬の京都を堪能して幸せに過ごしました。後半は就活面接地獄で、胃がキリキリするような日々でした。就活って嫌......と思って、転職活動も絶対したくないなと当時は泣いてばかりの毎日で、乗り越えられたことが今でも信じられません。
当時の就活記録に関しては、別記事に書いてあるのでそちらを参照しましょう。
三月。
上旬に内定をいただき、苦しかった就活を終えました!私の障害や病気に関してもとても理解をいただいて、条件や環境・雰囲気などあらゆることを含めて、ここで働きたい!と強く思わされるところから内定をいただけたのは、自分を深く肯定されるような気持ちになりました。
そういったことの報告を含めてだいぶ久しぶりに母校を友人と訪れ、たくさんの先生方と濃密に話せた貴重な日もありました。また、その日からパーソナルジムにも通い始め、自分が節目だ!変わりたい!と願っていた変容の月だったのかもしれません。
四月。
大学院二年生になり、六年間の学生生活最後の年度が始まりました。残った単位を取りつつ、先行研究を探しながら、パーソナルジムに行く日々の中、恋人のお誕生日をお祝いするために奔走し、無事成功した!と思います!
月末に始まったGWの始まりには、私の実家に恋人が結婚の挨拶に来るというビッグイベントがあり、母や祖母など家族がそわそわしていました。彼が父に挨拶する時は、正直緊張よりも状況の奇妙さに笑えてきてしまう気持ちだったのをなんとなく覚えています。同日に私も彼の実家に行く流れになって、初めて会うご家族たちと飲んで食べてとても緊張と楽しさがないまぜでした。
五月。
恋人とハトヤホテルに内定祝いで行ったGW。レトロだけど全く人がいなくて、室内プールや温泉を独占し、卓球をして、大きな広間で夕食を食べ、広いバーでカラオケをするという、もうなかなかできない体験ができてシンプルに楽しかったです。帰ってきてからもデートをしたり、母とライブに行ったり遊んでばかりで、M2ってこんなに遊んでていいのかなあという感じでした。
そう思っていたらやっぱり、GW明け、コロナが五類になった途端にコロナにかかりました。情けない。パーソナルジムも行けなくなり、療養の月と後半はなりました。
六月。
六月は上旬を恋人のいる京都で過ごし、後半はジムと大学にだらだら行く、消化試合的な日々でしたね。コロナで痛い目を見たので、大人しく過ごそうという感じでした。
この月はイベントが少なく、記憶もバイト探しをして変な商売に引っかかっていたくらいしかありませんね。なんと嘆かわしい。
七月。
この月は東京でばかり過ごしていて、単位を取得しつつ、多くの展示に行って、学びの月になっていました。
同時に恐らく、今後京都に越すことを考えると一緒に過ごせるのは最後になるであろう、祖母の誕生日を祝ったり、兄弟三人で珍しく集まってタコスフェスに行ったり、展示も母と行ったり、家族で過ごす大事な日々だったなと今になっては懐かしく思います。
八月。
この夏休みはまるっと恋人のところで過ごす予定だったので、大きなトランクを持って、荷物も後から送ったりして、初旬から京都へ。二人の新居を内見して決めたり、恋人の友人とウィスキーイベントに行ったり、琵琶湖の大きな花火大会を二人浴衣を着て感じたり、素晴らしい夏休みの始まりでした。
そのあとは、恋人の祖父母がいらっしゃる鹿児島に招待されて、屋久島旅行も含めて、鳥刺しと芋焼酎に明け暮れた最高の五日間でした。緊張する間もなく焼酎が私と彼らを繋いでくれて、本当の家族になれたような幸せな時間で、「苗字が変わったらまたおいで」と言っていただけて泣きそうでした。
帰ってきてから、ずっと心の支えにしていたyoutuberの女の子が亡くなってしまって、気持ち的に辛い日々が続きましたが、恋人がそばにいてくれたことで乗り越えられて、好きな人がそばにいるって強いなあと泣きました。その後も恋人の友人たちと鮪会をしたり、古民家でBBQしたり、夏休みを堪能する日々で、勉強は全くしていませんでしたね。
九月。
プロポーズされました。二人でもう決めていたことで、花を買ってきてもらって、彼と共にフレンチフルコースを作って、おうちでプロポーズを演出するという、私たちらしい記念日になりました。ひざまづいて申し込まれた時、驚きではなくやっと...!という感じではあったものの、大きな喜びで安心したのをいつまでも忘れないと思います。
そこからは二人で東京に帰ってきて、結婚指輪を追い求め銀座で宝飾店巡りをしたり、また京都に戻って関西の内定先のイベントに出たり、大学に戻ったり、昔のバイト先に出戻ったり、忙しなく過ごす月でした。
そんな中でも儚げに楽しいことは忘れず、友人三人でワインバーのアフタヌーンティーが素敵な最高の日も忙しなさの中で光っていました!
十月。
初旬にまた京都に行き(何度京都に行くんだよ)、会社の長期休暇の恋人と二人で一緒に時間を過ごしました。敬愛するブックデザイナーの幅さんが奥様と共に運営するブックカフェに行けたのが幸せだったのですが、本棚の中身がほぼ私を同じで、なんだかミーハーだなと恥ずかしくなったのを覚えています。
そこから二人で東京に帰ってくると、緊張の両家顔合わせがありました。なるたけカジュアルにしようと中華を選び、故郷である横浜の重慶飯店で舌鼓を打ちました。ま、概ねうまく事が運んだのではないかと思います。
その後は結婚指輪代を稼ぐためにバイトに明け暮れつつ、月末に指輪を受け取り、記念の美味しいお寿司を食べました。あの時のスイカの奈良漬けとあん肝の握り、一生好きです。
あと大きな事ですが、春から準備していた障害年金が承認され、証書が届くという嬉しいことがありました。
十一月。
修論の中間発表から始まったこの月。
バイトをしつつ論文がいよいよだぞとなりながらも、母の念願叶って二人でディズニーに行けました。小学生の頃に25周年のランドに行ったのですが、そのまま母とは行けず、40周年となったランドにやっと行けました。二人でシミラールックをして、ディサビリティパスを使いこなしつつ存分に楽しめためちゃよい一日になりました。撮れ高さいこ〜。
後半はまた京都に行き、二人の新居に引っ越し、そして、ついに、いい夫婦の日、11月22日に!結婚!しました!!!法的に家族だと認められ、会社の住宅時補助など支援されることのなんと心強いことかと思いつつも、認められない同性カップルの方や選択的夫婦別姓についても思いを馳せました。何か、アクションができればいいのですが。こうして書いているといつもいつも美味しいものを食べているなと思いますが、結婚した記念にまた美味しい和食割烹に足を運び、静かで満たされる時間を過ごしました。
十二月。
初旬にスタイリッシュなエアビーでメイド服を着ながら映え料理を食べるという女子会で迎えた十二月。初めて女子会らしい女子会ができて、いい思い出になったなと今月のことなのに既に感慨深いです。他にも数年ぶりの友人に会ったり、恐らく訪れるのは最後になるであろう美容室に手土産を持っていき、髪を聖子ちゃんにしてもらったり、母とクリスマスコンサートからバーに足を運んだりする、思い出と邂逅したり、思い出を作成したりする上旬でした。
中旬に喘息を拗らせて大きめの風邪を抱えつつ、京都の夫(夫!!!恋人ではなく夫!)のところへ向かって、共にクリスマスを祝いました。お外のディナーもおうちでのお料理ディナーもどちらもやったのですが、この形式が一番いいかもしれませんね。私から夫に送ったレコードプレーヤーがうまく作動した時、二人で飛び跳ねて手をとって喜びあった時間が大好きです。
そんな夫も仕事を納め、私も教授に修論草稿を提出し、無事各々の実家に帰ってきたのが昨日です。ああ、やっとここまで書けた。
こうして振り返ってみると、やはり秋・冬にイベントが多いというか、去年同様5・6月は沈黙の月と言わんばかりに意気消沈してしまうようですね。来年はちょうど研修期間ですから、どうかちゃんと機能してくれ!私!と願わずにいられませんが、自分の一番調子の悪い時期にも無事仕事ができる環境づくりを構築していく方が早いかとも思います。
結婚という大きなフェーズを迎え、年女でもある年で、来年二月に離れるこの地に友人や家族と思い出をたくさん作って、この2023年は私にとって節目になるとても大事に年でした。今年あった本当に大切な思い出たちを、どうか忘れずにいられたらと思います。
紅白を一緒に見てる母が、書きすぎだよと私を止め出して、こうしていつもやりすぎる私を止めてくれる母も来年から遠くで過ごすのかと思うとなんだか寂しいです。実家を名残惜しく思う日が来るなんて、あの頃の私は思わなかったなと不思議な気持ちです。そろそろ本当に書くのをやめましょう。あと思うべきことは、来年に渡して、今は静かに眠って。
来年の世界はもっともっとよい世界にしましょう。同時に私はとてもとても穏やかに過ごしましょう。おやすみ、世界、一瞬の眠りを。
24卒・精神障害者の建築大学院生がIT企業から内定をもらうまで。
タイトルの通り、私は精神障害者手帳を持つ、建築を専攻する大学院生1年で、先日IT企業から内定をいただき就活を終えました。全く同じという人はなかなかいないとは思いますが、似たところがある人に参考にしてほしくて、この記事を書きます。
私のスペック
私の大まかなスペック(嫌な言い方ですが)を書いておきます。
・精神障害者手帳2級
・疾患は統合失調感情障害/ナルコレプシー症候群/ASD
・1年浪人して都内の中堅私立理系大学の建築学科へ。
・内部進学でそのまま同大学院の建築専攻へ。
・研究室はデザイン理論・美学。
・首都圏の実家住み。
有名大学でもないし、特別なコンテストに出て優勝したこともないし、精神疾患というハンデを抱えています。。コンプレックスだらけですが、学部ではそれなりに成績優秀で大学院へは特待生として招待されたり、卒業制作で学内で表彰されたりはしました。しかし、あくまでその程度でしかなく、就活市場においてあまり雇いたいと思われる条件ではありませんでした。
精神疾患の症状としては、幻覚・幻聴、躁鬱の繰り返し、聴覚過敏とそれに伴う疲労、一日12時間以上の睡眠過多、過食嘔吐の繰り返しといったところが主です。学部をストレートで卒業できる程度ではありましたが、大学院に入ってリズムが変わると丸々2ヶ月休んだりもしました。何より、夕方になると発狂したりするので周りに迷惑をかけるし、聴覚過敏により居られる場所に制限があることが問題でした。
希望と結果
そんな私が就活をするにあたって、自分に出した希望は以下の通りです。
・デザイナーやプランナーなどデザインに関わる者として働けること
・恋人が関西で働いていて同棲したいため、勤務地が関西であること。
・体力がないため、月残業時間が平均20時間以下であること。
・土日祝休みで、産休・育休・時短勤務に理解があるところ。
・月給が額面で22万以上であること(20万+院卒ボーナスで2万)。
・服装(服や髪色やネイル)や勤務の仕方に細かく指定がないところ。
・障害者配慮があること。
障害者配慮を除いても、こんな条件に当てはまる企業がまず少ないです。営業職や事務職に比べてデザイナーや企画職自体が募集人数が少ないから。加えて、デザインに携わるところは激務であることが多く、より良いものを作るためなら仕方ないと免罪符になっている業界でもあります(よくないね)。また、大企業の場合はデザインセンターを東京に置いているところが多く、デザイナー希望であれば東京勤務という提示が多かったため、関西でデザイナー職を目指すこと自体が難しかったです。
それでも、いくつかは当てはまる企業があり(残業時間に関しては低く見積もってる会社もあるかもしれないけれど)、5社エントリーした結果、1社から先日内定をいただけました。IT系の大阪本社の企業で、デザイナーとして内定がいただけましたし、何より障害者であることも受け入れていただけました。
時期としては早期内定でしたが、自分の提示していた条件に適っていたことと、障害についてとても丁寧に対応してサポートしてくださって、ここで働きたいと思いました。また、就活が終わった方が精神疾患も軽くなるのは見込めていたため、一刻も早く終わりたかったのも本音です。
スケジュール
そもそも私は就活を始めた時に何をどうすればいいかわからなくて、わからないことそれ自体が一番不安でした。精神障害者の就活としてすべきことを明確にするためにも、スケジュール感がわからない不安を解消するためにも、過程を書いておきます。(あくまで24卒の話なので、以降はスケジュール感が変わる可能性もあります。)人によっては、当たり前じゃんと思う内容もあるかもしれませんが、私はその当たり前もわからなく困ったので書きますね。
2022年春から8月まで
ずっと精神の調子が悪く就活どころではなかったため、夏インターンなどにも参加できず、夏休みはずっと恋人の家で療養していました。
2022年9月上旬
・マイナビとリクナビへの登録
・ディスプレイ業界大手に勤めている方3人(母の過去の仕事仲間と、私の学部時代の友人)と実際に会って、業界や企業について話を伺う
・自己分析と就活の軸作り
2022年9月下旬
・大学の就活面談(11月まで利用)の利用開始
・ES対策説明会や業界別説明会
・企業のマイページへの登録
結局企業ごとの早期選考のお知らせなどは、採用ページからプレエントリーしておかないと届かなかったりするので重要です。実際、私はマイナビやリクナビは企業探し程度でしか使わず、実際の就活を進める中では希望する企業の採用ページから登録しましょう。そこから企業に関する情報や動画を見たり、秋冬のインターンに申し込んだりしました。
2022年10月
・Web合説への参加
・SPI対策
・ES対策
・dudaチャレンジからの紹介を頼む
type就活というサイトからWebの合説に申し込みまくって、週末は大体それを見ていました。企業ってこんな感じかとか、知らない企業を知れたりとかして有意義でした。障害者向けや理系向けなど、かなり細かく分類して存在してるので、自分に合ったWeb合説を見るといいです。
また、10月後半からは冬インターンの選考が始まり、SPI受験やESを書く必要や面接に行く可能性が出てきたので、SPI対策本とES・面接対策本を買いました。SPIは2周くらいサラッとやって、マイナビの模試を受ける程度でした。
それよりもES対策や面接でのNGなど、常識性を問われる方が怖かったのでよく読み込んでいました。ASDならではのでのやらかしが私個人としては体感であるので、自覚がある人はこちらを重視しましょう。
ESに関しては、引き続き受けていた就活面談に書いて持っていき、詳しく添削してもらっていました。自分はわかっていることでも、他者の視点から見ると話の通じないこともよくあるので、私のことを知らない人に見てもらうのは非常にためになりました。
2022年11月
・冬インターンへのエントリー(SPI・ ES・面接)
・OBOG訪問(2社ほど行きましたが、あまりピンと来ず私としてはあまり役に立ちませんでした。訪問する企業をしっかり調べてから行くといいと思います。)
・大学主催の対面グループディスカッション対策
・大学主催の対面模擬面接
・気になっていた企業に直接訪問(小さな出版社の代表とご縁があってお話しました。)
ここでやっとスーツが必要になりました。私はリクルートスーツのデザインが嫌いだったので、母の昔のスーツを借りて挑みましたが問題ありませんでした。ストッキングが苦手なASDの方は多いと思うのですが、私もつらかったので直前に駅で履いて終わったらすぐに脱いでいました。面接の間だけ耐えられれば問題ありません。
2022年12月
・5daysの冬インターン(1社)
・企業主催の説明会参加(3社)
・ポートフォリオ作り
デザイナー志望なので、今まで作った作品をまとめ直したり修正したり、別件で作ったポートフォリオを編集したりして、数パターンのポートフォリオを作りました。
2023年1月
・ES等のエントリー
・ポートフォリオのブラッシュアップ
1月は大学が忙しくあまり動けませんでしたが、ESとポートフォリオのブラッシュアップは重ねて、何社か出していました。
2023年2月
・冬インターンに行った会社からの面接
・IT企業へのエントリーと面接
この月は面接の月だったので、やきもきしたり胃が痛くなったりして、メンタルと体調の管理が大変でした。精神疾患のある人は事前にカウンセリングなどを予約しておくとスムーズでしょう。
2023年3月
・冬インターンの会社の最終面接結果が来て、落ちたことがわかりました(明らかに障害者を差別した発言を最終面接で言われてしまっていたので、それが原因だと思いかなり落ち込みました)。
・3月上旬に最終面接を受けた会社から、内定をいただいた電話で障害を打ち明けました。確認してからまた正式に内定を出すとのことで、翌日何の問題もないということで丁寧な配慮・対応についてやりとりをし、内定をいただきました。就活終了です。
なぜ建築学生なのに建築ではないのか
そもそも建築を5年間(卒業時には6年間)学んでいる学生なのに、どうして建築業界以外へ行ったかということも説明しておきたいです。学部卒で就活するならまだしも、院進してまで建築の、しかもデザインや設計を学んでいる人が、建築に関わらない仕事に就いているのを見たことがありません。日本中を探せばいるとは思いますが、私の先輩方や私の研究室卒業者にはいませんでした。それくらい専門的な学科であることは確かで、私も大学院に入学するまではアトリエ設計者になる気満々でした。
しかし大学院に入って1ヶ月ほど建築を真剣にやる中で、メンタルの調子を今までで一番崩して数ヶ月ダウンしました。回復はしましたが、それと同時に建築を生業にするには精神的にも体力的にも力が足りないことを悟りました。
また、これはエージェントの方にもカウンセラーにも言われたことですが、入社することがゴールではないと言われていました。最低でも3年働き続けることができないのに、無理して繕って入社してしまった場合、辛くなってしまうのは私だと。
また、建築業界と言われるところで勉強したりバイトしたりする中で、業界全体にブラックな風土が強く根付いてしまっていることだったり、男性が多いことからか女性差別をしているなと感じるシーンが多々あり、この環境に身を置いていると蝕まれていくのも感じました。
上記のような理由から、建築業界(ゼネコン・組織設計事務所・アトリエ事務所など)での就活を諦め、デザインに少しでも関われる他業界を見ることとなりました。
就活を始めた頃は建築に近いところでデザインをしたかったことと、展示が大好きだったことから、ディスプレイ業界を特に拝見していました。ディスプレイ業界大手に勤めている方と実際に会って、業界や企業について話を伺う機会も得ました。大変貴重で有意義でしたが、深夜作業があったり、激務であったりして、私の体には向いてないことは明らかで、他の業界を探し始めました。
その結果、私がエントリーした企業はIT企業と印刷会社とゲーム会社のデザイナー・プランナー職となりました。最終的にIT企業でUI/UXデザインを行うことに決まったのですが、残念ながら私には未経験の領域でした。それでも学習環境を整えて歓迎してくださるとのことで内定をいただけたので、建築学生だけれども他業界に行きたい人は臆せずトライしてみましょう。案外、大丈夫です。
必須なツール・サイトまとめ
- Notion
Notion (ノーション) – Wiki、ドキュメント、プロジェクト。すべてをひとつに。
普段からNotionというアプリのユーザーではあるのですが、就活のページをきちんと作りました。①掲げている目標や希望(見失わないように)・②自分がよく行く就活サイトのリンクリスト・③企業リスト(企業名/業界/選考段階/締切/マイページのURLなどの表 )を作ってまとめていました。
自分が今何をすべきかとか、迷った時に一目瞭然であるべきところに帰って来られる場所なので、Notionでなくてもこうしたものを作っておくと便利です。 - SPI対策本とES・面接対策本
特にどれがいいとかはないので、書店に行ってきちんと手に取って見て、自分が良さそうだと判断したものを一冊ずつ使ってください。 その年度の時流もわかりますし、最低限のお作法が書いてあるので、ES添削を受けられない人でもこれに倣えば大丈夫です。SPIは最低1周はやろうと言われました。 - マイナビ・リクナビ
私は主に企業探しのために利用しており、ここからエントリーした会社はありませんでした。自己分析のための診断ツールやSPI模試などが揃っていて、就活の始めの方でかなり役立つと思います。登録しておいて損はないです。 - type就活
Webでの合説が多く行われていて、あの企業ってこんな感じのことやってるんだとか、待遇をちゃんと説明してもらえたりとか、人事の方の雰囲気の比較ができたりとかで便利でした。
マイナビなど主催の現地での合説もいいのでしょうが、私のように人混みやうるさいところが苦手な人はWebの合説の方が向いていると思います。大抵は顔出しなしなので、パジャマで寝っ転がって見れるのも体調的にグッドでした。 - dodaチャレンジ
障害者雇用の求人・就職・転職支援サービスはdodaチャレンジ
これは障害者雇用専門の就活サイトです。私は最終的に一般枠で障害者配慮をしていただけることになりましたが、障害者枠での採用というのも大手になればなるほどあるので、検討してみてください。こちらは自分で検索するデータベースの他に、エージェントも用意されています。
私は勤務地とデザイナー職、残業が少ない正社員を条件にエージェントの方に探していただきましたが、残念ながら適応するものはありませんでした。事務職などはたくさん求人があったので、障害者の方でそちらの方面を探している人には有効だと思います。
エージェントの方とは電話でやりとりするのですが、障害者雇用の仕組みや、求める配慮の伝え方など基礎的で重要なことを教えていただけたので、仕事が見つからなくても私にとっては大切なやりとりでした。 - 就活相談室
大学の就活支援センターなどに就活相談室や就活面談があると思います。飛び込みで行けるものもあれば、ネットで予約するものもあると思うので、自分の大学サイトをよく読んでみてください。
私の場合は、かなり親身になって30分から1時間ほど一対一で相談に乗ってくれました。もちろん障害者であることも相談しましたし、どの業界が向いてるか、そもそもどんな業界が存在してるのかなど、幅広く対応してくれます。自分を知らない人として、人事の視点でESを添削していただけるのもありがたく、私は秋頃に週1で通っていました。
就活をするにあたって
先程も書きましたが、就活は入社して終わりではありません。むしろそこからがスタートです。長く働き続けることが目的ではありませんし、転職も当たり前の時代ですが、ファーストキャリアが自分にとって過ごしやすく、学びやすく、働きやすい環境であることは本当に大事です。
何番煎じかという話ですが、そのためには自分と企業群をいかに分析してマッチングしていけるかという話にもなります。障害を持っていると、多くの一般の人と違うことが多いので、自分を分析する要素が増えますし、説明すべきことも増えます。大事なのは、自分で自分を把握して、他者に説明し、共に働けるのだということをこちらが示す必要があります。障害というつらい部分に向き合うので、とても大変ですり減ることですが、ここを乗り越えなければならないのは確かです。
実際に、内定をいただいた企業からの最終面接のフィードバックで、「自己理解がよくできていて、困難にあった時にどのように乗り越えたかがよくわかったことが信頼に繋がった」という趣旨のことを伝えていただきました。
これは過ぎた言葉ですが、実際に自己分析や障害や特性や欲望と向き合うことにはかなり時間を費やしたので、とても嬉しい言葉でした。
内定をいただいたから思えることかもしれませんが、落ちた企業も含めて、半年程のこの就活で様々なものを得て、成長できたと胸を張って言えます。不安になってしまった夜も、憂鬱な朝も、全てを含めて自己鍛錬の半年になりました。
障害を持った方、他業界に行こうとしている建築学生などあらゆる就活生が、このブログを少しでも参考にして、自分に納得できる就活ができることを祈っています。
エブエブ
2023年3月13日(月)
昨夜は遅くまで飲んでいたので、朝は10時頃起きることとなった。だらりだらりと服を着てメイクをして、稼働しようかなぁと頑張る。朝のこの時間が一番つらくて、どんなに寝ても足りない私にとっては戦いの時となる。
あっという間に11時頃になり、早めの昼食をとることにする。野菜とタンパク質がとりたくてゴーヤチャンプルーをおかずに玄米ご飯と残り物の味噌汁を食べる。かなり美味しいなあと思っていたのに、食べ終わってから豆腐を入れ忘れていることに気づいた。食べたらなんだか眠たくなってきて、15時ごろまでぽやぽやと眠ってしまう。朝の戦いが無意味になってしまって悲しい。
起きてからせめて時間を有効活用しようと、就活が終わったらやりたかったことリストを見てみる。ここにも一度書いておこう。
・友人と会う
・髪を染める
・ジェルネイルを始める
・部屋の片付け
・服と本の断捨離
・ダイエット本格化
・ITパスポートの勉強
・プログラミングの勉強
・UI/UXの勉強
・母校を訪れたい
こうして見てみるとあまりに欲張りな気もするけれど、書くのはタダだし、志は高く。宣言することで行動できるタイプだから頑張ろう。まずは簡単なものから、形から、ということで、いつも行く美容院にカラーの予約を入れる。本当はカットもしたいところだけれど、お金が足りないので諦めよう。やることリストに新規アルバイト探しも入れなきゃなと思いつつ、さらに自由になる。
それはジェルネイル。ずっとやりたいと思っていたけれどなんとなく敷居が高くて、さらに就活中はネイルができないから諦めていた。やっと自由な姿になれる!やり方から必要な用具から調べていくと、とにかく工程が多くて時間もお金もかかる代わりに落ちにくく可愛い仕上げになるとわかった。調べていくと親切なサイトがあって(下記に貼っておく)、写真付きの過程でなんとなく把握できた。
https://7beauty.jp/beautycolumn/nail/selfgelnail-basic-method
要は爪の状態を綺麗にして、ベースジェル・カラージェル・トップジェルの順で塗りながらライトで固め、余分なものを拭き取り保湿するという流れだ。ハードルを下げるために、なくてもokと書かれているものは省いて、最低限出来上がるのに必要なものを、それぞれ初心者用おすすめで調べてamazonで放り込んでいく。8,000円くらいで揃えることができて内心ほっとしつつ、久しぶりに新しいことを始められる喜びに、何かの物質が出ているのを感じる。
そんなこんなでもう17時。仕事帰りの母と映画に行く約束をしていたので、駅へ向かう。観終わってからでは遅いので、早めの夕食をとる。アジア映画への称賛も兼ねてエスニックだ。ガパオライスってどうしてこんなに美味しいんだろうと思いながら名前のわからないハーブを全部熟知できたらいいのにと思う。次の目標はこれにしようか。
観る映画は『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』。中国系の女性がアメリカでコインランドリーを経営しながら夫と父と暮らし、レズビアンの娘がいる。しかし、突如としてマルチバースへの世界へと引き込まれて......という話だ。半年前くらいに予告が出てきた時は、マルチバースがよくわからなくてアベンジャーズってこと......?などと思っていたが、観てわかった。要は、存在しうるあらゆる自分の可能性との邂逅と、相互影響と唯一性の話のことなのだった。
観ている間、そのマルチバース描写に既視感があった。それは、躁鬱の躁の時に感じる全能感だ。私には統合失調感情障害という精神疾患があって、躁状態になることがよくある。躁になるとあらゆる世界線で生きている私が、同時にリンクしながら応答してくれる感覚がある。あれはなかなか説明しても理解してもらえないのだけれど、本当にそれと似ていて、終わった後は仲間がいるような安心感から涙が流れてきた。
映像や美術のレベルとしても、映画でやることの意味としても、物語性や詩性にしてもとにかくリンクするものが大きく、観ていて刺激的なのにどこかほっとする素敵な体験だった。激しいのでとにかく疲れたけれど、魂の一本になることは間違いない、映画館で観ることができて心からよかったと思える体験だった。
映画館から帰る途中に、登場人物のジョイのような色彩の狂った服装の人がいて、私もマルチバースしちゃってる!?と思いながら、評を見てみようと調べていると、アカデミー賞をとっていることを知った。何事にも疎くて困ってしまうが、自分が好きだと思ったものが、アジア人製作の映画として世界的に高い評価を得ているのはシンプルに嬉しい。主演女優賞を獲ったミシェル・ヨーは『Crazy Rich Asians』の母親役でもかなり好きだったので、世界はようやく魅力に気付いたかと思った。名誉白人のような態度を取ったことのある日本人が、簡単にアジア人として連帯することには慎重になるべきだとも思いつつも、アジアが世界を席巻する世界線にいれてよかったと思うのだった。
雪だるま式
2023年3月10日(金)
一度いいことがあると雪だるま式にいいことが続く。
昨日、内定が出て無事に就活を終えたので、教授やお世話になった人など各所に連絡をした。一度デスクに向かうとなんだか今までになかった気力が湧いてきて、Notionの就活関連ページを整理してアーカイヴに入れたり、開き続けてた無数の企業サイトのタブを閉じたり、マイナビ等のメールを停止してGmailから大量のメールを削除したり。
とにかくそうした煩雑だけれど、どこかで区切りがつかないとできない事務的作業を大量にこなした。
Macbook内の一部がすっきりすると今度はデスクの状態が気になってくる。片付けるのが苦手で万年散らかり放題の私が、デスクの状態が気になるなんてこと滅多にない。天変地異の前触れは言い過ぎにしても、かなり気持ちが上向いている私にしてはとても良い状態なのだと感じる。
1200×600mmのまあまあ大きなデスクは、Macbookを置くスペースだけ確保して書類の山に囲まれているのにやっとこさ気づいた。そのほとんどはリクルート関係のDMや冊子で、ところどころに研究室のレジュメと、マイナンバーとコロナワクチンと年金の書類が混じっているのがわかった。いらないものを精査して捨てて、ついでにレジュメをファイリングして横に差しておく。
デジタル上でもアナログでも、就活関連のことを整理して片付けたら随分と心がすっきりとした。昨日の時点でも十分晴れていたけれど、さらに晴れることなんてあるのかということと、私が自主的に片付けをすることがあるなんてということに驚く。
いいことはまだあった。
片付けの途中、外に出たいおばあちゃんと一緒におつかいに出て、乾物屋さんで茶葉を買った後、お昼のために餃子の王将に寄った!何を隠そう、私は餃子の王将が大好きなのだ。
すごく幸せな気持ちになりながら開店直後の王将に入ると、ちょうど私たちが座ったところで席が満席になった。ラッキーだ!メニューを開いて大好きなキムチ炒飯を食べようか迷ったが、タンパク質を取りたくて酢豚とミニ炒飯にした。低GI(?)の良い選択でえらい!案の定、酢豚は甘酸っぱいとろみとサクサクした衣で大変美味しかった。
その後、スーパーで冷たいものを買う際に、私が持つからと大きな豆乳のパックとギリシャヨーグルトを買えた。家で食べるものを自分でチョイスできる機会がなかなか少ないのでとても嬉しい!
そうして満足した食事とおつかい、すっきりとした片付けをこなした私は、おやつごろすやすやと眠ってしまった。
突然の電話で起床。仕事終わりの母からの電話で、一緒に行くジムに向けてのものだった。慌てて身を起こしてジムへ向かう。いつもより暖かい道中が完全にウォーミングアップとなり、ぽかぽかした身体でジムに入る。いつもより多めにトレーニングできたことに喜びを感じつつ汗を拭き、帰路につく。
帰ると、就活の終わりを祝してささやかなご馳走が用意されていた、私が好きなものばかり。塩昆布とにんじんの炊き込みご飯に、蟹玉、菜の花の辛子和えに、桜かまぼこの板わさ。梅酒がするすると進んで、楽しく美味しく、実家で夕食が取れたのはいつぶりだろう。テレビではWBCという野球のお祭りが流れていて、ちょうど日本が逆転したところだった。
一度幸せになると次の幸せに向けて行動が起こせるし、小さな喜びにも気づきやすい。逆もまた然りなのだろうと思う。今が好転の瞬間だとしたら、このままゆったりとした回転でもいいから維持していたい。難しいだろうか、今日のような春を覚えているのは。
春がきた
2023年3月9日(木)
今日は随分暖かい日だった。
ニットではなくブラウスを着たし、花粉症はいつもよりひどかったし、電車に乗り込むと冷房までついていた。
いよいよ冬から春に変わったのを強く感じながら、私は一人そわそわしていた。
火曜日に最終面接を受けた企業から、今週中にお返事をしますと言われながら待っていた。ただ木のように待っているわけにはいかないので、大学院の先輩と食事の約束を入れていた。カフェに寄ってから商店街を散歩していた時、電話は来た。
喜びの成分があったならば、それが全身を駆け巡るのを視認できるような感覚になるのを感じながら電話越しに内定のお知らせを聞いていた。安っぽいが自分のことではないようだった。徐々に書類等の事務的な説明に移っていった頃、電話のために離れてくれていた先輩に向かって親指を立ててにこにこしてぴょんぴょん飛び跳ねる自分がいた。
丁重にお礼を言いながら電話を切って、まず恋人にLINEをした。次に母に送ると、待ち遠しかったのかすぐに「おめでとう!!!」と来た。Twitterにも「就活おわりました!!!!!」と投稿すると次々といいねとお祝いコメントが届いた。花が次々と咲く春のようにお祝いされるその様子に、どこか既視感があった。辿ればすぐに発見され、それは大学受験終了の時だった。
でもその時よりも嬉しい。大学受験は一応希望する勉強ができるところに入れたものの、滑り止めで、悔しさも歯痒さもあった。でも今回は違う。私が就活をするに当たって最初に書き出した条件を全て満たしていて、面接や人事の人とのコミュニケーションを通しても「ここだ!」という感触があった。
今まで行ってきた苦行から逃れられるという開放感以上に、自分の未来に対して希望を持てるという新しい感覚も手に入れた。それは親元を離れて、自分で生活費を稼ぐ手立てを得たという安心感も、その喜びを手伝っていたと思う。
自立に向けて道筋が見えた。
内定がでた、春がきた。