utteringUFOの日記

私とあなたの備忘録です

2023まとめ

2023もそろそろ終わります、あと数時間。紅白をつけてたら山ちゃんの歌声が聞こえてきて、本家最高じゃん!になってしまいました。ジャニーズが出なくなったり、ディズニー特集があったり、有吉が司会やったり、NHKも変わっていくんだな〜。私も変わった、もっと変わりたい。
という訳で、この変革の年2023、総振り返りです。

 

一月。

夫となる人の家族に初めて会ったお正月から始まった一月。親友と映画に行ったり、恋人に誕生日を豪勢に祝ってもらったり、また別の友人と美味しい時間を過ごしたり、幸せなイベントが多いながらも、メンタルクリニックと大学に通う、穏やかで一番いい季節でした。
2024年もいい一月になればと願いながら、いや、そもそも2024年自体がいい一年になりますように。

 

二月。

二月上旬は恋人のところでふわふわと舞い、冬の京都を堪能して幸せに過ごしました。後半は就活面接地獄で、胃がキリキリするような日々でした。就活って嫌......と思って、転職活動も絶対したくないなと当時は泣いてばかりの毎日で、乗り越えられたことが今でも信じられません。
当時の就活記録に関しては、別記事に書いてあるのでそちらを参照しましょう。

 

三月。

上旬に内定をいただき、苦しかった就活を終えました!私の障害や病気に関してもとても理解をいただいて、条件や環境・雰囲気などあらゆることを含めて、ここで働きたい!と強く思わされるところから内定をいただけたのは、自分を深く肯定されるような気持ちになりました。
そういったことの報告を含めてだいぶ久しぶりに母校を友人と訪れ、たくさんの先生方と濃密に話せた貴重な日もありました。また、その日からパーソナルジムにも通い始め、自分が節目だ!変わりたい!と願っていた変容の月だったのかもしれません。

 

四月。

大学院二年生になり、六年間の学生生活最後の年度が始まりました。残った単位を取りつつ、先行研究を探しながら、パーソナルジムに行く日々の中、恋人のお誕生日をお祝いするために奔走し、無事成功した!と思います!
月末に始まったGWの始まりには、私の実家に恋人が結婚の挨拶に来るというビッグイベントがあり、母や祖母など家族がそわそわしていました。彼が父に挨拶する時は、正直緊張よりも状況の奇妙さに笑えてきてしまう気持ちだったのをなんとなく覚えています。同日に私も彼の実家に行く流れになって、初めて会うご家族たちと飲んで食べてとても緊張と楽しさがないまぜでした。

 

五月。

恋人とハトヤホテルに内定祝いで行ったGW。レトロだけど全く人がいなくて、室内プールや温泉を独占し、卓球をして、大きな広間で夕食を食べ、広いバーでカラオケをするという、もうなかなかできない体験ができてシンプルに楽しかったです。帰ってきてからもデートをしたり、母とライブに行ったり遊んでばかりで、M2ってこんなに遊んでていいのかなあという感じでした。
そう思っていたらやっぱり、GW明け、コロナが五類になった途端にコロナにかかりました。情けない。パーソナルジムも行けなくなり、療養の月と後半はなりました。

 

六月。

六月は上旬を恋人のいる京都で過ごし、後半はジムと大学にだらだら行く、消化試合的な日々でしたね。コロナで痛い目を見たので、大人しく過ごそうという感じでした。
この月はイベントが少なく、記憶もバイト探しをして変な商売に引っかかっていたくらいしかありませんね。なんと嘆かわしい。

 

七月。

この月は東京でばかり過ごしていて、単位を取得しつつ、多くの展示に行って、学びの月になっていました。
同時に恐らく、今後京都に越すことを考えると一緒に過ごせるのは最後になるであろう、祖母の誕生日を祝ったり、兄弟三人で珍しく集まってタコスフェスに行ったり、展示も母と行ったり、家族で過ごす大事な日々だったなと今になっては懐かしく思います。

 

八月。

この夏休みはまるっと恋人のところで過ごす予定だったので、大きなトランクを持って、荷物も後から送ったりして、初旬から京都へ。二人の新居を内見して決めたり、恋人の友人とウィスキーイベントに行ったり、琵琶湖の大きな花火大会を二人浴衣を着て感じたり、素晴らしい夏休みの始まりでした。
そのあとは、恋人の祖父母がいらっしゃる鹿児島に招待されて、屋久島旅行も含めて、鳥刺しと芋焼酎に明け暮れた最高の五日間でした。緊張する間もなく焼酎が私と彼らを繋いでくれて、本当の家族になれたような幸せな時間で、「苗字が変わったらまたおいで」と言っていただけて泣きそうでした。
帰ってきてから、ずっと心の支えにしていたyoutuberの女の子が亡くなってしまって、気持ち的に辛い日々が続きましたが、恋人がそばにいてくれたことで乗り越えられて、好きな人がそばにいるって強いなあと泣きました。その後も恋人の友人たちと鮪会をしたり、古民家でBBQしたり、夏休みを堪能する日々で、勉強は全くしていませんでしたね。

 

九月。

プロポーズされました。二人でもう決めていたことで、花を買ってきてもらって、彼と共にフレンチフルコースを作って、おうちでプロポーズを演出するという、私たちらしい記念日になりました。ひざまづいて申し込まれた時、驚きではなくやっと...!という感じではあったものの、大きな喜びで安心したのをいつまでも忘れないと思います。
そこからは二人で東京に帰ってきて、結婚指輪を追い求め銀座で宝飾店巡りをしたり、また京都に戻って関西の内定先のイベントに出たり、大学に戻ったり、昔のバイト先に出戻ったり、忙しなく過ごす月でした。
そんな中でも儚げに楽しいことは忘れず、友人三人でワインバーのアフタヌーンティーが素敵な最高の日も忙しなさの中で光っていました!

 

十月。

初旬にまた京都に行き(何度京都に行くんだよ)、会社の長期休暇の恋人と二人で一緒に時間を過ごしました。敬愛するブックデザイナーの幅さんが奥様と共に運営するブックカフェに行けたのが幸せだったのですが、本棚の中身がほぼ私を同じで、なんだかミーハーだなと恥ずかしくなったのを覚えています。
そこから二人で東京に帰ってくると、緊張の両家顔合わせがありました。なるたけカジュアルにしようと中華を選び、故郷である横浜の重慶飯店で舌鼓を打ちました。ま、概ねうまく事が運んだのではないかと思います。
その後は結婚指輪代を稼ぐためにバイトに明け暮れつつ、月末に指輪を受け取り、記念の美味しいお寿司を食べました。あの時のスイカの奈良漬けとあん肝の握り、一生好きです。
あと大きな事ですが、春から準備していた障害年金が承認され、証書が届くという嬉しいことがありました。

 

十一月。

修論の中間発表から始まったこの月。
バイトをしつつ論文がいよいよだぞとなりながらも、母の念願叶って二人でディズニーに行けました。小学生の頃に25周年のランドに行ったのですが、そのまま母とは行けず、40周年となったランドにやっと行けました。二人でシミラールックをして、ディサビリティパスを使いこなしつつ存分に楽しめためちゃよい一日になりました。撮れ高さいこ〜。
後半はまた京都に行き、二人の新居に引っ越し、そして、ついに、いい夫婦の日、11月22日に!結婚!しました!!!法的に家族だと認められ、会社の住宅時補助など支援されることのなんと心強いことかと思いつつも、認められない同性カップルの方や選択的夫婦別姓についても思いを馳せました。何か、アクションができればいいのですが。こうして書いているといつもいつも美味しいものを食べているなと思いますが、結婚した記念にまた美味しい和食割烹に足を運び、静かで満たされる時間を過ごしました。

 

十二月。

初旬にスタイリッシュなエアビーでメイド服を着ながら映え料理を食べるという女子会で迎えた十二月。初めて女子会らしい女子会ができて、いい思い出になったなと今月のことなのに既に感慨深いです。他にも数年ぶりの友人に会ったり、恐らく訪れるのは最後になるであろう美容室に手土産を持っていき、髪を聖子ちゃんにしてもらったり、母とクリスマスコンサートからバーに足を運んだりする、思い出と邂逅したり、思い出を作成したりする上旬でした。
中旬に喘息を拗らせて大きめの風邪を抱えつつ、京都の夫(夫!!!恋人ではなく夫!)のところへ向かって、共にクリスマスを祝いました。お外のディナーもおうちでのお料理ディナーもどちらもやったのですが、この形式が一番いいかもしれませんね。私から夫に送ったレコードプレーヤーがうまく作動した時、二人で飛び跳ねて手をとって喜びあった時間が大好きです。
そんな夫も仕事を納め、私も教授に修論草稿を提出し、無事各々の実家に帰ってきたのが昨日です。ああ、やっとここまで書けた。

 

こうして振り返ってみると、やはり秋・冬にイベントが多いというか、去年同様5・6月は沈黙の月と言わんばかりに意気消沈してしまうようですね。来年はちょうど研修期間ですから、どうかちゃんと機能してくれ!私!と願わずにいられませんが、自分の一番調子の悪い時期にも無事仕事ができる環境づくりを構築していく方が早いかとも思います。
結婚という大きなフェーズを迎え、年女でもある年で、来年二月に離れるこの地に友人や家族と思い出をたくさん作って、この2023年は私にとって節目になるとても大事に年でした。今年あった本当に大切な思い出たちを、どうか忘れずにいられたらと思います。
紅白を一緒に見てる母が、書きすぎだよと私を止め出して、こうしていつもやりすぎる私を止めてくれる母も来年から遠くで過ごすのかと思うとなんだか寂しいです。実家を名残惜しく思う日が来るなんて、あの頃の私は思わなかったなと不思議な気持ちです。そろそろ本当に書くのをやめましょう。あと思うべきことは、来年に渡して、今は静かに眠って。
来年の世界はもっともっとよい世界にしましょう。同時に私はとてもとても穏やかに過ごしましょう。おやすみ、世界、一瞬の眠りを。