utteringUFOの日記

私とあなたの備忘録です

答え:

建築とはなんだろうか?という問いに対しての解答欄がずっと埋まらぬままである。

 

二年生の時間割では月曜日の1限から4限まで設計の授業である。必修であるため、将来意匠系に進まない、つまり構造とか材料の方に進む子も取らされるため、人によって向き合う真剣さがマチマチな講義となる。

かくいう私は、2年生も後半になろうというのに意匠系に進むかどうかを決めかねており、持てる体力と時間をかけて、他の座学を潰さぬ程度に、取り組んでいる。設計の作業が要する体力と時間は私にとってはあまりに膨大で、今のままではこなせないと感じるし向いていないというのは、一昨日などにも書いた話だ。しかし向き不向きを置いておいて、建築学の専攻について考えるならば、そもそも私は建築をどう捉えているのかということが肝のはずである。

 

建築とはEngineeringとArtの融合である、ということは1年生の時分に再三言われた。ただのオブジェクトではなく、そこに人が住み、利用するのだから、ただ美しければいいというわけでも、ただ安全で強固ならばいいわけでも、ただ使いやすければいいわけでもない。「強・用・美」の全てを兼ね揃えたものが建築であると、そう言われ続けながら設計に臨んでいる。

しかし、設計の作品講評の時間に評価理由を聞いてみると、まずとても目を引く形とサイズだった、住みやすいかはよくわからないけれど熱意が伝わる模型の量だった、などという言葉が聞かれる。

よく、わからない。

学部2年生のペーペーが何を言っても戯言だろうが、多くの矛盾や忖度や嘘が含まれているように感じて、設計の間は貝のように耳を閉じてしまいたくなるのだ。1年生の設計基礎の授業で、担当の先生に「みんな上手く嘘をつきながらこなしている。100%のものなんてなくて、せいぜいよくても70%のものを上手く95%に見せている。いや、70%ならば良いほうだ。君も早く上手い嘘のつき方を覚えた方がいい」と言われたのを度々思い出して、その度に混乱する。

 

あの解答欄が埋まる日は来るのだろうか。それとも問いが間違っていて、"建築をつくること"と"設計"は全く別のものなのだろうか。

「真実はいつもひとつ!」と書かれた某名探偵のスウェットを着て1日を過ごしていたけれど、今日もわからないまま終わろうとしている。