utteringUFOの日記

私とあなたの備忘録です

日曜の夜が一番哀しい

暗い内容が続いて申し訳ないけれど、元気の源である恋人に久しく会えていないことも相まり心の水分がカラカラになって、このタイトルです。

 

本当のことを言えば日曜のお昼ご飯を食べ、おやつに差し掛かるくらいから、泣きそうではある。冬の夕日の中で早めの湯浴みをすると、湯船の中で汗だと思い込もうにもできない涙がぽろぽろと出ていく。そして楽しい映画を観ながら(概ねブルース・ブラザーズである、あれは本当にハッピー)夕食を食べ、宴が終わってから眠るまでが本当の地獄である。

来たる月曜日の予定を考え必要な物を揃え、久しぶりに始まる大学に備えてやり忘れてない課題がないかチェックしていく作業。今回は既に模型が作れていない時点で頓挫しているけれど。そして薬を飲んだり歯を磨いて、先の提出の課題をまた淡々とやっていく。

この一連の流れ自体に不健全なところはないのに、どうして涙が止まらないのだろうか。

 

一週間の区切りを日曜終わり月曜始まりにしているからだろうか。

一週間をなんとはなしに振り返り、七日間が風のように過ぎ去ったのに何も思うように達成できていないこと、そしてその積み重ねでできている己の薄ったらいこと、未熟なこと。それが来週も変わっていかないこと。

その細かな区切りの連続性とそこから始まる自罰的思考に、きっと泣いてしまうのだろうな。泣く暇があるならやるべきことをやればいいのにと思うが、感情を上手く制御できていれば最初から何も問題ない。

思えば小学校の頃からこうだった記憶がある。冬休みの終わりの日曜日、学校が嫌いな訳でも宿題が終わってない訳でもないけれど、ただただ悲しくなってしまってぼろぼろと泣きじゃくっていた。確か、もう小5にもなっていたのに父にあやされて眠りについた記憶が、書く最中に思い出された。

 

哀しくなる理由や過程はわかったから、温かいルイボスティーやブランケットや抱き枕で物理的に自分をあやそうね。昼間のお散歩中の写真を眺めて草の音を思い出すのも良いでしょう。私を癒すものは、過去の私がたくさん作ってくれているはずです。

そういえば、布団カバーも今日から変わります。今まで男兄弟に挟まれた環境のせいか、勝手にピンク色の物を買われてしまっていたけれど、今日ついに「本当はピンクじゃなくて紺色がいい」と言えたじゃありませんか。

 

どんなに哀しい夜でも、一日の中にきちんと良きことがあったことを、どうか忘れずに眠って素敵な夢を見てね。これを書いている私も、読んでいる貴方も。