utteringUFOの日記

私とあなたの備忘録です

ミルフィーユ

明日、幸運にも偉大なる教授がわざわざ時間を取って個人的に見てくれることになりました(冬休みに何も作れなかったことを慮ってくださって)!とてもとても嬉しいし、彼と一対一で向き合って模型を見てもらえるチャンスなんて、彼の研究室に入らない限りないので逃してはいけないけれど、いい加減カッターを抑える人差し指が限界なので合間の指休めとしてほんの少し書きます。

残り数時間で私の二十歳が終わってしまうからね、モニュメント的文章です。

 

二十歳になる時は流石に、成人して大人の仲間入りができるということや飲酒へ夢を馳せることや近い成人式で同窓生と再会できることへの高揚感、そしてもう10代が終わってしまうことの喪失感や節目に対する一種の責任や覚悟のようなもので、胸が一杯になりそわそわし特別感をひしひしと感じていました。

確か、日付を越す数十分前に発作が起きて心臓の痛みと共に二十歳を迎えたのですが、成人になるためのイニシエーションのようだと周囲は笑えないブラックジョークを飛ばしながら大人になりました。

 

いえ、大人にはなりきれていません。恋人や友人のおかげで多種多様なお酒を経験できたし、年金を払ったりはしたけれど、それは年齢に伴って責任や権利が拡大しただけのこと。むしろそれに見合うだけの力や意識はないと、二十歳の終わりに近付くにつれて強く感じさせられました。

嘆かわしいことこの上なく、日々努力を積み重ねなければなりませんが、誕生日でちょうどアップデートされるOSを積んでいるわけでもあるまいし、善くあろうと恒常的にし続けることで、私はグラデーションの中で変化するのでしょう。でも仄暗い夜明けから桃色や紫色の朝焼けに変わる瞬間が人生のどこかでは存在し、自分でそれに気付けたらどんなにいいか、とひっそり祈るように思っています。

 

そういうわけで21歳になることに20歳の時ほどの期待感はありません。

でも歳を取るということへの絶望や悲しさもありません。若さという社会が見せる幻のようなものにあまり魅力や利点を感じないし、老いよりも自身の成熟や経験の増加に興味があるから、歳を取るというより重ねるという表現にしたい。年齢ミルフィーユです。

これはあくまで私の価値観でしかないけれど、特に女の子に見られる若さへの希求や老いへの恐れ、若い女の子を求める男性や社会へ警鐘を鳴らしたい気持ちも確かに存在しているので、17歳から18歳へ、19歳から20歳へ、29歳から30歳になることを今夜恐れている女の子がいるならば、この考えが届くよう祈っています。

 

それでは、今夜私はミルフィーユをたった一枚そうっと重ねるけれど、何も変わらぬままで、ずっと変わり続けるままで。