utteringUFOの日記

私とあなたの備忘録です

2022供養

やっと1年が終わる。もう終わってしまうのかという追われている気持ちよりも、やっと精算できるというような気持ちの方が大きいため、タイトルもこの通りとした。それくらい試練の1年だったのだ。

ざっくりと月毎に振り返っていこうか。

 

1月、学部の卒業制作に追われる日々だった。

体調を壊したまま迎えた年明けから、突っ走ることように、しかし踏ん張って、なんとか作品を仕上げやうとゴールだけを見た狭い視野で、たくさんの人に迷惑をかけながら生きてた。毎日毎日泣いていた。今でも記録こそ残っているが、記憶はほとんどない。泣くか作業するか眠るかで、学生版モダンタイムズだった。

2月上旬、卒業制作を作り終えた。

賞も無事いただいて、嬉しい嬉しいと疲れた身体で酒に溺れたら翌日からひどい風邪をひいた、お馬鹿だから。そのあとは京都で骨を休めたり、身辺整理をしたり少し落ち着いて過ごした。作り続けていた時の燃料はもうなくて、けれど心はどこか宙ぶらりんで、自分の本当にしたいことがわからなかった。

3月、旅。

最初に卒業旅行として仲の良い6人組で熱海旅行に行った。大学で友達付き合いを頑張らなかった私にできた、唯一の大切な友達たちだ。エアビーで借りたオーシャンビューの部屋から、6時半に眺めた朝日の色も、カフェバイトの子が淹れてくれたコーヒーの味も、まだしっかり覚えている。その後も金沢旅行をしたり、箱根の美術館に行ったり、遠出が尽きず、合間で外部のコンペティションに卒業制作を出していた。そこでも賞がもらえて、私の力は全国に通用するんだと、井の中の蛙ではないのだと少しほっとした。

4月、新生活。

大学院生になった。世の中の人が想像するよりずっと授業が濃密で、研究よりも授業での課題の方が忙しいくらいだった。その中でもゼミの先輩の”お言葉”を吸収しようと頻繁に飲み会に顔を出しては、建築論議をしていた。一番建築学生らしい1ヶ月だったと思う。忙しさがおしゃれというか、映画っぽい日々だった。

5月、暗転。

GWは楽しく過ごしていたはずだった。その後大学に行っていたのにしばらくした頃、涙が止まらず、起き上がれず、幻覚が見え、常に死にたく、全能感と絶望感を行ったり来たりするようになっていた。手を差し伸べてくれた全ての人間が敵に見えて、身体的な不調の存在にも気づけないくらいに精神面の異常が際立っていた。幸い、かかりつけの精神科にコンスタントに通っていて、次の予約もきちんとあったため、取り返しのつかない事態(自死)には至らずに済んだ。それでも、人生で一番辛かった。死にたかった。あの時死ななくてよかったって今なら言えるから、思い留まらせてくれた周りのたくさんの人々ありがとうございました。

6月、沈黙。

大学に行けない日々がまだ続く。入院のできる病院へ転院を進められながらも、今のカウンセラーとの相性が良くて、なんとか外来で治そうとじたばたもがく。同時にこの時点で単位がやばかったり、家から早く出たくて就労を目指したりして、大学院を中退しようとしてしまう。今思えば、こんな精神状態でいきなり環境を変えて働いたりできるはずはなく、この時にカフェで相談して止めてくれた(正確には判断は今やめて休もう)と提案してくれた友人に感謝したい。指導教授にも相談し、やっぱり止められたの、今となってはもはや懐かしいな。

7月、復帰。

少しずつ冷静になれる時間が1日の中で増えてきて、中旬から大学に顔を出し回収できる単位を少しばかりいただいてきた。色んな人に再会しては怖くて、帰宅して泣いていた。それでも少しずつ普通の振る舞いができるようになってきて、周りに「おかえり」と迎えられることも増えた。単位を全て落とすことにならなかったのは有難いが、学部の成績を参考に追加レポートのみで単位が出たものもあって、高校の頃を思い出した。高校で心身を崩して単位が足りなかった時も、中学の成績を参考に補填していただいたのだった。輪廻は回るね。

8月、京都。

大学前期を終えて、中旬から京都の恋人宅に1ヶ月滞在した。幸せな日々だった。馬鹿なこともしたし、反省したいこともあるけれど、自分を安全な場所に置いて世界一好きな人と過ごしていい期間は、精神の回復に本当に大きな貢献をした。この時間の幸せ蓄積があるから、その後も、今も頑張れているなと思う。忘れられない夏になった。この滞在期間で、一品とかではなくフルで食卓を作ることができるようになったのは大きな成長だった。そんな日は来ないだろうけど、恋人と別れて実家を出て一人になっても「私は私を食わせられる」みたいな予感がちょっぴり勇気に変わった。

9月、帰還。

実家に帰った。気持ちとしては恋人の家がもうホームだったけれど、それでも家の断熱・防音・水回り・自分の好きなものが自室に多くあるなどの環境面はやはり有難いのだなと、図らずも実感する機会となった。心身共に健康になって現実に引き戻されると、待っていたのは就活だった。大学の後期開始と共にかなり焦る日々となり、様々な情報に振り回されながらあわあわしていた。就活はこれを書いてる大晦日現在もまだまだ続いているから、あの焦っていた日々を思い出すと冷や汗が出てくる。

10月、始動。

大学後期が本格始動して、後期こそは単位を取るぞと息巻いて頑張った。なかなかにハードなところもあったけれど暑さが苦手な私にとっては、精神異常を連れてきた暑さがやっと去っていき、自分のコントロール感が出てきてなかなかによかったね。大学にも通えて、展示も見に行けて、素敵なデートもできて、通常の自分が戻ってきたのかなと思えた。秋は良い月よ。

11月、稼働中。

大学後期前半の課題のやっつけと就活に追われる日々だった。Notionとか手帳がちゃんと軌道に乗り直して、自分の記録が正確に取れてきたことが功を奏したのか、忙しくても過食をする程度で済んだ。就活に進みがあったり、単位が取れたり、それでも無理してるなと感じるイベントはキャンセルしたり、そういう判断ができた自分を褒めてあげたい。友人とドレスアップしてパーティーしたり、ピカソを見に箱根に飛んだり、me and youの読書会に参加して素敵な気持ちになったり、文化に溢れた月でもあった。

12月、反転。

第一志望の選考直結5daysインターンに進めて参加した。5日間働けたことも、帰ってからも作業したことも、毎日スーツを着て同じ時間に決まった場所に行けたことも奇跡みたいで、自分で自分に感動した。半年前の死にたかった私には絶対にできなかった芸当だ。そんな真面目な出来事に挟まれるようにデートがあり、どちらも派手だった。前者の東京デートではホテルのバーに足を運んだり、豪華で濃密な2日間を過ごしたし、後者の京都クリスマスデートではシガーバーや葉巻室に行ったり、ディナーを食べたり、まあどちらも幸せだったってことよ。一昨日帰宅したけれど、家には6年前の自分からの手紙が届いていてそれが一番のサプライズだった。

 

月毎にさっくりと書き出してみたけれど、こう書くと乱高下がすごい。気圧変化で頭痛がするタイプの人だったら、私の精神の上下についていけなくて頭が爆発すると思う(キングスマンの頭が爆発していくシーン綺麗だよね)。

改めて、私はこの一年(常に、だが今年は特に)で本当に多くの感謝すべき人を持ったなとわかった。来年以降は、恩返しできる人になれるように行動していきたいね。

 

でも2022年1月1日に決めた2022年の目標は「熟慮した上で欲しいものは絶対に手に入れる。そのための努力は惜しまない。」だった。それに対して言えば、目標の大幅な変更や落ち込んでいた時期はあったにも関わらず、焼酎片手にそこそこ幸せに生きれている今を手に入れられたことと、今生きていること、それが答えになるんじゃないか。

来年も、死なずに頼む!!!